ジェリー・オーツとは? わかりやすく解説

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ジェリー・オーツ

(ジェリー・オーティス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/17 12:08 UTC 版)

ジェリー・オーツ
プロフィール
リングネーム ジェリー・オーツ
ジェリー・オーティス
ニックネーム ジョージアの山猫
身長 190cm[1] - 192cm[2]
体重 110kg[1] - 115kg[2]
誕生日 (1945-09-04) 1945年9月4日(79歳)[3]
出身地 アメリカ合衆国
ジョージア州
マスコギー郡コロンバス[3]
トレーナー ディック・スタインボーン[3]
デビュー 1970年[3]
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ジェリー・オーツJerry Oates1945年9月4日[3] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラージョージア州コロンバス出身[2]

技巧派のベビーフェイスとして、NWA南部中西部を主戦場に活動した[1][4]。実弟テッド・オーツとの兄弟タッグチームオーツ・ブラザーズThe Oates Brothers)での活躍も知られる[5]

来歴

1970年、義兄でもあるディック・スタインボーンのトレーニングのもとジョージア州アトランタにてデビュー[4]。以後、ジョージアやフロリダにてスタインボーンとのタッグなどで活動[4]1972年1月、「ジェリー・オーティス」の表記で国際プロレスに初来日。外国人エース格のカーティス・イヤウケアダン・ミラーのタッグパートナーに起用され、ストロング小林サンダー杉山ラッシャー木村大剛鉄之助ら日本陣営と対戦した[6]

1974年より、カンザスおよびミズーリを拠点とするNWAセントラル・ステーツ地区に参戦。ロード・アルフレッド・ヘイズブルドッグ・ボブ・ブラウンと抗争し、タッグではマイク・ジョージや弟のテッド・オーツと組んで同地区認定のNWA世界タッグ王座を再三獲得[7]1975年には、当時ジャック・ブリスコテリー・ファンクが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦している[8]

1976年9月、テッドと共に全日本プロレスに来日[1]。シリーズ開幕戦の9月24日には大宮にてジャンボ鶴田とシングルマッチで対戦し、30分時間切れ引き分けの戦績を残している[9]。10月2日の東京後楽園ホール大会ではテッドと組んでグレート小鹿&大熊元司極道コンビからアジア・タッグ王座を奪取したが、10月21日に福島にて高千穂明久&サムソン・クツワダに敗れ、タイトルをアメリカに持ち去ることはできなかった[10]。戴冠中の10月7日には、ジャイアント馬場とのシングルマッチも行われた[11]

その後はテッドとのコンビを一時解消して各地を転戦し、1977年8月には中南部のトライステート地区にてディック・マードックからNWA北米ヘビー級王座を奪取[12]1978年3月にはパシフィック・ノースウエスト地区にてジェシー・ベンチュラと組み、バディ・ローズ&エド・ウィスコスキーを破りNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得[13]。同地区ではジミー・スヌーカとも共闘し、ブル・ラモスアイアン・シークなどのヒール勢と対戦した[14]

1970年代末より再びテッドとのオーツ・ブラザーズで活動し、本拠地のジョージアではジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンミネソタ・レッキング・クルーと抗争。古巣のセントラル・ステーツ地区では1980年3月2日、空位となっていたセントラル・ステーツ・タッグ王座の争奪トーナメントに出場。ジ・アウトローズザ・ファンクスも参加したワンナイト・トーナメントにおいて、ボブ・スウィータン&タカチホなどのチームを破り勝ち進んだが、決勝でブルーザー・ブロディ&アーニー・ラッドに敗れて戴冠を逸した[15]

1981年7月、単身で国際プロレスに9年半ぶりに参戦。8月8日に北海道根室にてテリー・ギッブスをパートナーにマイティ井上&阿修羅・原IWA世界タッグ王座に挑戦したが、翌8月9日の羅臼町での興行を最後に国際プロレスは活動を停止。結果として、同王座の最後のチャレンジャーとなると同時に、国際プロレス最後のタイトルマッチに出場した外国人選手となった[16]。以降、日本には翌1982年7月より全日本プロレスに度々参戦し、ハーリー・レイスタイガー・ジェット・シンと組んでのタッグマッチでメインイベントにも出場した[17]1983年7月の来日時にはニック・ボックウィンクルのパートナーも務めた[18]

その間もアメリカではジョージアを主戦場にテッドと度々コンビを組み、ファビュラス・フリーバーズイワン・コロフ&アレックス・スミルノフミスター・サイトー&ミスター・フジスタン・ハンセン&ケビン・サリバンなどのチームと対戦したが[19][20][21]1984年にテッドがヒールターンしてリップ・ロジャースハリウッド・ブロンズを結成してからは、ロニー・ガービンを新パートナーに兄弟抗争を展開[22]。同年7月4日にはガービンとのコンビでロード・ウォリアーズを破りNWAナショナル・タッグ王座を獲得したが、9月20日にハリウッド・ブロンズに奪取されている[23]

1986年9月1日にはオーツ・ブラザーズを再々結成してテキサス州ダラスWCWAのイベント "Labor Day Star Wars" に出場し、世界タッグ王座の争奪トーナメントに参加(2回戦でマーク・ヤングブラッド&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズに敗退)[24]。以降はセミリタイア状態となるも、全日本プロレスには1987年から1989年にかけて中堅外国人選手として定期参戦(日本マットには国際プロレスに2回、全日本プロレスに7回、通算9回参戦)[1]。最後の来日となった1989年の3月4日には静岡にてジョニー・スミスと組み、サムソン冬木&川田利明フットルースが保持していたアジア・タッグ王座に挑戦した[25]

トレーナーとしても活動し、マーティ・ジャネッティや女子プロレスラーのバンビことセリナ・メイジャーズらを指導[3]1991年1月28日にはジョージア州メイコンで収録されたWWFのTVテーピング "WWF Superstars" において、ブルックリン・ブロウラーと組んでザ・ロッカーズ(ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)のジョバーを務めた[26]

2004年5月、地元のコロンバスにおいて、かつて主戦場としていたジム・バーネットのプロモーションと同じ名称のインディー団体「ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング」を旗揚げ[4]。エリック・ワッツ、ブル・ブキャナンデビッド・ヤングらを主力に、アブドーラ・ザ・ブッチャーマスクド・スーパースターなどジョージア地区のレジェンドも招聘し、2006年9月まで団体運営に携わった[4]

得意技

獲得タイトル

全日本プロレス
セントラル・ステーツ・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・タッグ王座:2回(w / テッド・オーツ)[29]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア
NWAトライステート
  • NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回[12]
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回[30]
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / ジェシー・ベンチュラ[13]

脚注

  1. ^ a b c d e 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P57(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e Jerry Oates”. Cagematch.net. 2025年3月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Jerry Oates”. Wrestlingdata.com. 2014年3月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e Jerry Oates”. Online World of Wrestling. 2014年3月26日閲覧。
  5. ^ Oates Brothers”. Cagematch.net. 2014年3月26日閲覧。
  6. ^ The IWE matches fought by Jerry Oates in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年3月26日閲覧。
  7. ^ a b NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  8. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1975”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  9. ^ AJPW Giant Series 1976 - Tag 1”. Cagematch.net. 2025年3月17日閲覧。
  10. ^ a b All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  11. ^ AJPW Giant Series 1976 - Tag 13”. Cagematch.net. 2014年3月26日閲覧。
  12. ^ a b North American Heavyweight Title [Tri-State/Mid-South]”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  13. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  14. ^ The PNW matches fought by Jerry Oates in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年3月26日閲覧。
  15. ^ CSW Event”. Cagematch.net. 2025年3月17日閲覧。
  16. ^ 『忘れじの国際プロレス』P111(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  17. ^ AJPW 1982 Summer Action Series”. Puroresu.com. 2025年3月17日閲覧。
  18. ^ The AJPW matches fought by Jerry Oates in 1983”. Wrestlingdata.com. 2025年3月17日閲覧。
  19. ^ The GCW matches fought by Jerry Oates in 1980”. Wrestlingdata.com. 2025年3月17日閲覧。
  20. ^ The GCW matches fought by Jerry Oates in 1981”. Wrestlingdata.com. 2025年3月17日閲覧。
  21. ^ The GCW matches fought by Jerry Oates in 1982”. Wrestlingdata.com. 2025年3月17日閲覧。
  22. ^ The CWG matches fought by Jerry Oates in 1984”. Wrestlingdata.com. 2025年3月17日閲覧。
  23. ^ a b NWA National Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月17日閲覧。
  24. ^ WCWA Labor Day Star Wars”. Cagematch.net. 2014年3月26日閲覧。
  25. ^ AJPW Excite Series 1989 - Tag 8”. Cagematch.net. 2025年3月17日閲覧。
  26. ^ WWF Superstars #231”. Cagematch.net. 2014年3月26日閲覧。
  27. ^ NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  28. ^ NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  29. ^ NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。
  30. ^ NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年3月26日閲覧。

外部リンク




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