シュシャ占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「シュシャ占領」の解説
詳細は「シュシャ占領(英語版)」を参照 3月28日にアゼルバイジャン側はステパナケルトへ攻撃を開始し、翌日午後には街の近くまで達したが、ほどなくアルメニア人たちによって押し返された。ホジャリ占領後の数か月後にはシュシャはアゼルバイジャン側の最後の砦となり、アゼルバイジャン軍は再びグラートミサイルでステパナケルトに対する砲撃を開始した。4月にはステパナケルトの5万人のアルメニア人は相次ぐ砲撃により地下壕暮らしを強いられ、都市周辺部からのアゼルバイジャン軍侵入の危険も高まったため、アルメニア軍は5月8日に戦車やヘリコプターと数百人の兵力を以てシュシャのアゼルバイジャン軍要塞に攻撃を加えた。繰り広げられた激しい市街戦によって双方に数百人の死者が発生したが、翌日にはアゼルバイジャン軍はアルメニア軍によってシュシャから追い立てられた。これにより、アゼルバイジャン側には23,156人の難民が発生した。 シュシャの占領は隣国トルコで大きな反響を呼び、首相のスュレイマン・デミレルは、自国民から紛争に介入しアゼルバイジャンを支援するよう強く要求されていると語った。デミレルは、トルコの介入はイスラム世界とキリスト教世界のさらなる対立を引き起こす恐れがあるとしてこれに反対した。しかし、トルコは派兵こそ行わなかったものの、実質的な軍事支援と顧問の派遣をアゼルバイジャンに対して行っている。1992年5月にはCIS軍元帥のエフゲニー・シャポシニコフが、カフカース情勢への干渉は第三次世界大戦を招きかねない、とアメリカと西欧諸国に対して警告を発した。 2012年夏には、プレイヤーがアゼルバイジャン兵となってシュシャでの戦闘に参加するという設定の、ゴア描写を含むファーストパーソン・シューティングゲーム『占領下―シュシャ』(az) が、アゼルバイジャンでリリースされている。
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