シベール・メンバーのその後とは? わかりやすく解説

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シベール・メンバーのその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 13:41 UTC 版)

シベール (同人誌)」の記事における「シベール・メンバーのその後」の解説

吾妻ひでお定型化したロリコン漫画形式は、その周辺にいた同人作家たちに継承され拡散していった。吾妻1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動同人誌自販機本といったアンダーグラウンドなインディーズメディアを通して以降漫画状況メジャー・マイナー問わず決定的に変え、それを1980年代以後のおたく文化繋いだ蛭児神建1980年から自身主宰する変質社」に移り過激派ロリコン文芸誌『幼女嗜好』発行ロリコン界の教祖的存在としてコミケ君臨するそれ以外メンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ本誌終刊後活動継続した。 「グループ601」は『シベール』元編集長沖由佳雄主宰する同人サークルであり、1981年12月創刊され後継同人誌『エピカル』には『シベール出身メンバー計奈恵孤ノ間和歩三鷹公一豊島ゆーさく仁科倉一)も多数参加していた。しかし、その後離合集散繰り返し、やがて見解の相違などから一部初期メンバー分派独立した結果シベール時代痕跡跡形無くなった一方ぐるーぷティンカーベル」は、ファンタジー路線基調にした創作同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し沖由佳雄豊島ゆーさく計奈恵森野うさぎ、川めぐみ、よしき志信毛羽毛現さえぐさじゅんらが原稿寄稿した森野うさぎ主宰の「STUDIO BAKI」は、後に壁サークルとなるクリエイティブ集団スタジオ・アオーク」に発展し自主制作アニメAWAKE』の製作を主軸にその資金稼ぎとして同人誌以外に『漫画ブリッコ誌上メディアミックス展開し第2次ロリコン商業誌ブーム嚆矢となる。

※この「シベール・メンバーのその後」の解説は、「シベール (同人誌)」の解説の一部です。
「シベール・メンバーのその後」を含む「シベール (同人誌)」の記事については、「シベール (同人誌)」の概要を参照ください。

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