グスク時代から琉球王国時代とは? わかりやすく解説

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グスク時代から琉球王国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 06:32 UTC 版)

八重瀬岳」の記事における「グスク時代から琉球王国時代」の解説

八重瀬岳北側中腹に「八重瀬グスク富盛グスク)」があり、標高約110メートル位置する面積は約4,200平方メートルで、「本殿跡」、「当(クラントー)」、「物見台跡」と呼ばれる場所がある。「本殿跡」の周囲をL字状に石垣野面積み築かれ、また「当」は「本殿跡」より高所存在し岩山の「物見台跡」から東シナ海遠望できる。1976年昭和51年)の調査では、グスク入り口近く門跡、「当」に掘っ立て柱建物の跡が発見され、明時代青磁白磁、ほかに銀貨ガラス玉出土したグスク時代末期東風平一円支配した八重瀬按司居城とされ、また汪英紫築いたとも伝えられ、さらに第一尚氏尚巴志の四男が八重瀬按司として居城していたといわれる。 「富盛の石彫大獅子」は、富盛集落外れにあり、石製獅子八重瀬岳向かって設置されている。『球陽』(尚貞王二一年条)によると、富盛では火災多く発生し久米村風水師見てもらうと、八重瀬岳は火をもたらすので、火返し(ヒーゲーシ)として獅子八重瀬岳向けて建たせるようにと告げた村人教えに従って置くと、火事起きなくなったという。沖縄各地にも同じ目的作製され獅子存在するが、全長1.8メートル、高さ約1.4メートル1689年康熙28年)に設置された当獅子は、現存するもの最大かつ最古である。1974年昭和49年12月2日沖縄県指定文化財指定された。 第二尚氏尚育王沖縄本島南部巡視した際、八重瀬岳登り周囲見渡せ景色を讃えた琉歌が以下に残されている。 八重瀬見下し野山うち続き空にたなびきゆるむらの大意八重瀬岳から見下ろすと、四方に野や山がうち続き、空には一むらがりのたなびいてのどかな景色だ。 — 尚育王、『琉歌全集所収

※この「グスク時代から琉球王国時代」の解説は、「八重瀬岳」の解説の一部です。
「グスク時代から琉球王国時代」を含む「八重瀬岳」の記事については、「八重瀬岳」の概要を参照ください。

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