グスク時代へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:38 UTC 版)
貝塚時代に続くグスク時代の出土品として、徳之島産のカムィ焼と九州肥前産の石鍋が、奄美・沖縄から先島までの広い地域で見つかっており、これらの文化がグスク時代の基盤になったとされる。グスク時代は貝塚時代に比べて、農業技術の普及と顕著な集落の内的人口増加が観測され、その根本的原因は琉球弧への北方系形質(大和人)の流入・分布に求められる。またカムィ焼の生産には高麗の陶工が関わっていたと考えられている。 喜界島城久遺跡からの、グスク時代に入る11世紀後半 - 12世紀頃の出土品は、九州系土師器、須恵器、白磁器、初期竜泉窯青磁器・同安窯系青磁器(南宋産)、初期高麗青磁器、朝鮮系無釉陶器、滑石製石鍋(肥前産)、滑石混入土器(朝鮮産)、カムィ焼などである(第II期)。これらは沖縄諸島のグスクからの出土品と類似している。 このように宋産磁器、肥前産の石鍋とカムィ焼がセットで出土する事から、喜界島が太宰府と南島(琉球弧)との間の南島交易の中継点になっていたとともに、当時の日宋貿易、日麗貿易と結節していたと考えられる。
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