グスク時代から琉球王国時代
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「八重瀬岳」の記事における「グスク時代から琉球王国時代」の解説
八重瀬岳北側の中腹に「八重瀬グスク(富盛グスク)」があり、標高約110メートルに位置する。面積は約4,200平方メートルで、「本殿跡」、「蔵当(クラントー)」、「物見台跡」と呼ばれる場所がある。「本殿跡」の周囲をL字状に石垣が野面積みで築かれ、また「蔵当」は「本殿跡」より高所に存在し、岩山の「物見台跡」から東シナ海を遠望できる。1976年(昭和51年)の調査では、グスク入り口近くに門跡、「蔵当」に掘っ立て柱建物の跡が発見され、明時代の青磁や白磁、ほかに銀貨やガラス玉も出土した。グスク時代末期に東風平一円を支配した八重瀬按司の居城とされ、また汪英紫が築いたとも伝えられ、さらに第一尚氏・尚巴志の四男が八重瀬按司として居城していたといわれる。 「富盛の石彫大獅子」は、富盛集落の外れにあり、石製の獅子が八重瀬岳に向かって設置されている。『球陽』(尚貞王二一年条)によると、富盛では火災が多く発生し、久米村の風水師に見てもらうと、八重瀬岳は火をもたらすので、火返し(ヒーゲーシ)として獅子を八重瀬岳に向けて建たせるようにと告げた。村人は教えに従って置くと、火事は起きなくなったという。沖縄各地にも同じ目的で作製された獅子は存在するが、全長約1.8メートル、高さ約1.4メートル、1689年(康熙28年)に設置された当獅子は、現存するもので最大かつ最古である。1974年(昭和49年)12月2日に沖縄県指定文化財に指定された。 第二尚氏の尚育王は沖縄本島南部を巡視した際、八重瀬岳に登り、周囲を見渡せる景色を讃えた琉歌が以下に残されている。 八重瀬見下しの野山うち続き空にたなびきゆるむらの霞大意:八重瀬岳から見下ろすと、四方に野や山がうち続き、空には一むらがりの霞がたなびいて、のどかな景色だ。 — 尚育王、『琉歌全集』所収
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