グスクと按司の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:07 UTC 版)
グスクは奄美群島から先島諸島にかけて点在する城で、16世紀前半までに建造された遺構である。安里進は、グスク時代はグスクという城塞のような役割を果たした遺構が登場し、琉球王国が形成し始める政治的な時代と述べている。貝塚時代後期には、立地が防御に適しているが、防塞機能を有した石垣や柵などの人工物が無い「グスク的遺跡」が見受けられる。その後、城塞的なグスクが登場するようになり、石垣は自然石をそのまま積み上げた野面積みから、人工的に石を加工して用いた切石積みへと発達した。そして、既存のグスクを拡張して強化を図ったが、1609年の琉球侵攻をもって、城塞として機能したグスクは終りを迎えた。奄美群島にも沖縄本島と同じくグスクが築かれ、11世紀頃は城塞ではなく、拝所や集落として機能していたとされる。 12世紀頃に沖縄本島内の集落間の争いで統率する者が現れ、後に各地域を治める政治的な支配者となったものが、按司の始まりとされる。高宮廣衞は、グスクの主である按司の出現時期とグスクの発生時期が一致するかは不明だが、按司の誕生は貝塚時代までに遡って考える必要があると、述べている。グスク時代の最盛期になると、按司(「世の主」、「てだ」とも)たちは互いに抗争を繰り広げ、勢力が拡大し、ついには按司の中の按司とされる「大世の主」が誕生した。そして沖縄本島北部・中部・南部地域それぞれを、北山・中山・南山という三大勢力(三山)が統治するようになった。その後、思紹と子・尚巴志により三山は統一され、琉球王国が成立した。第二尚氏王統の尚真王時代には、各地に構えていた按司たちを首里城に住まわせ、按司たちに武器の使用禁止を命じ、また位階制により身分を明確にするなど、国王を頂点とする中央集権が確立したとされる。これを期に、グスクは遺跡として残り、領主としての按司は役割を終えた。 奄美群島では、貝塚時代晩期からグスク時代に当たる11世紀から、徳之島で頭述のカムィ焼が生産されていたが、14世紀前半に終息している。また伝承では、グスクの主である按司は奄美各地で抗争し、また海賊から住民を保護し、英雄として讃えられたという。14世紀頃から琉球王国が奄美を支配下に置くまで按司は、海上流通に従事していたと考えられる。
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