クルサード銀貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 07:25 UTC 版)
「クルサード (ポルトガルの貨幣)」の記事における「クルサード銀貨」の解説
スペインとの同君連合が続いていた1580年から1640年の間にポルトガルの国力は打撃を受け、リスボンは巨大商業都市としての地位を失っていた。 ポルトガルの再独立によって即位した国王ジョアン4世は1642年にクルサード銀貨の鋳造を開始した。かつてのような金の流通に対する支配力も失っていたためである。その価値は400レアルと定められた。 アフォンソ6世治下の、1663年 3月22日の法律により、銀貨の規格は改められ、重量が25%を削減された。 新しい銀貨は重量は17.9グラム、直径は37mmで、表面にはポルトガルの国章をあしらい、その周囲に"ALPHONSVS VI.DG REX PORTVGALI“(神の恩寵によるポルトガル国王アルフォンソ6世)という銘が刻まれていた。裏面は十字をあしらい、銘は"IN HOC SIGNO VINCES"だった(「この印のもと、汝は勝利する」 コンスタンティヌス1世のラバルムに関する逸話に由来する文句)。 ペドロ2世時代には金貨と銀貨の摩耗を回避するため、従来のハンマーによる成形にかわってより洗練された機械的な成形法が導入された。 1688年8月4日の法律により、その価値は480レアルに変更された。 摂政ドン・ジョアン時代の1808年に製造されたコインは裏面の綴りが誤って"VINECS"となっていたことで知られている。 ポルトガルでの10進メートル法の導入に伴い、通貨体系も整理されることになり、女王マリア2世治下の1835年、クルザードの造幣は停止された。
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