クラウディングアウト
クラウディング・アウト効果(crowding-out)
クラウディングアウト
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クラウディングアウト(英: crowding out)とは、行政府が資金需要をまかなうために大量の国債を発行すると、それによって市中の金利が上昇するため、民間の資金需要が抑制されること[1]。「クラウディングアウト」(crowding out)の字義は「押し出す」という意味。
一般には、クラウディングアウト効果として使われる。典型は失業対策などのために国債を発行して公共事業や福祉政策を拡充させようとする際、大量に発行した新発国債が意図せず市中金利を高騰させ、民間の経済活動(投資のための資金調達や住宅購入などの消費行動)に抑制的な影響を与えてしまう場合である。
概要
古典派の議論
クラウディングアウトのアイデアは古くから存在し、アダム・スミスは政府による経済活動はすべて不生産的労働であり、政府が公衆から資金を借入れて消費することはその国の資本の破壊であり、さもなければ生産的労働の維持に向けられたであろう生産物を不生産的労働に向けるものである、とした[2]。一般に完全雇用を前提とした古典派経済学においては、政府支出の増大はそれが租税で調達されようと国債で調達されようと、民間支出はクラウド・アウトされる。
世界恐慌の発生した1929年頃、アメリカおよびイギリスでさかんに論議され、アメリカでは共和党のフーバー政権が赤字財政と国債発行に反対し、均衡予算主義のためにクラウディングアウトの議論を援用した。また、イギリスでは保守党政権下の財務省が同様の理論でJ.M.ケインズの立案になる自由党の提案と対立した[3]。
クラウディングアウトの問題は行政府による経済・財政政策において基本的な論題であり、もし古典派の言うように常に完全なクラウディングアウトが発生するのならば、行政府による経済への直接介入(経済政策)は意味をなさないこと(無効)になる。
ケインズの見解
ケインズのこの問題についての基本的見解は、失業と遊休資本が存在しているかぎりは、財政支出を増大してもクラウディングアウトによる完全な相殺は発生しない、というものである。ただし、政府による資金調達や財調達にともなう物価上昇に対応するように通貨当局がマネーサプライを拡大しなければ、利子率の上昇をもたらし投資を抑制する可能性があるとする[4]。また、恒常的な財政支出が、民間の期待や予測を通じて物価、資本の限界効率(期待収益率)、流動性選好に影響をあたえ、民間投資需要と競合する可能性を指摘する[5]。
ケインズ以降、経済の活動水準に影響を与えるのが金融政策であるか、財政政策であるかによって論争が起こった。マネタリストは金融政策に肯定的で財政政策(とりわけ裁量的な財政政策)には否定的であり、ニュー・ケインジアンは金融政策を重視するものの、財政政策の有効性にも肯定的なことが多い。また、マンデルフレミングモデルが示すように、閉鎖経済か開放経済かで財政政策と金融政策のどちらが有効性が高いかが変わってくるという見方が主流である。
簡単な数式による説明
他の状況が一定であるとき、流動性の罠など特別な場合を除けば、LM曲線が右肩あがりになっている状態で政府支出が増大すると利子率が上昇するため民間投資が縮小する。これにより、政府支出による国民所得増大効果の一部が、民間投資縮小による国民所得削減効果によって相殺されることになる。
クラウディングアウトを説明するために財市場を考える。話を簡単にする為、閉鎖系経済を考え、海外との輸出入はないものとすると、国民所得Yは、家計の消費Cと企業の投資Iと政府支出(財政政策)Gの総和になるので、 実際にクラウディングアウトが問題となった例として、1970年代から1980年代初頭のアメリカが挙げられる[8]
この当時のアメリカ経済は、日欧経済の復興による国際競争力の低下による不況と失業が問題となっていた。また1960年代からの負の遺産として3,809億ドル(対GDP比37.6% 70年度)~9,090億ドル(対GDP比33.3% 80年度)の累積債務があり、景気刺激策として低金利誘導を行おうとすれば市中金利の上昇に対するFOMCの買いオペレーション介入が過剰流動性(インフレ)をもたらし、インフレ抑制策として金融引き締めをおこなおうとすれば長期金利が急騰してしまうという悪循環に陥っていた。
1975年にフォード政権は840億ドルの国債を発行して金利の急騰をもたらした。これは民間総投資額の約半分に達するもので、連邦予算の赤字を調達し、あるいは借り換えるためのこの巨額の国債発行は、金融市場で民間資金需要と競合してクラウド・アウトをもたらし、結果として財政支出増加による所得創出効果を民間支出の減少が相殺してしまうのではないか、との議論を呼んだ。
レーガン政権では莫大な減税と歳出拡大を打ち出したため、金利水準は歴史的な水準に達し、民間投資は壊滅的な打撃をこうむった。とくに雇用面では失業者は1000万人を記録するなど戦後最も厳しい経済状況となった。その一方で海外からは大量の投機資金が流入し為替レートをドル高に導いた。ドル高は、輸出減退と輸入増大をもたらしインフレ率を低下させた。投機資金は利回りを目指して米国債などに向かい債券価格を上昇させ(長期金利を低下させ)た。また海外資本による投資の拡大へつながるなど、想定とはかなり異なる展開を示した(為替市場におけるクラウド・イン効果)。
1982年中にはインフレ率の低下から高金利政策は解除段階に入った。1983年には景気回復が始まったが、それは減税と歳出拡大という財政政策を受けた消費の増大(乗数効果)が主因であった。インフレーション沈静化後は、すぐさま量的金融緩和政策が行われ、「アメリカは復活した」といわれるほど急激な景気拡張が1983年から起きた。しかし、それによる不均衡はインフレーションではなく経常収支の赤字を生み出し、プラザ合意へとつながることになる。
日本では、1990年代の財政政策がクラウディングアウトを起こして民間投資を減少させたという見方もあるが、上述のマンデルフレミング効果によって金利上昇ではなく円高という形で影響が表れたことや、貯蓄超過の状態が続き国債が安定消化され続けたこともあり、目立った実質金利の上昇は起こらなかった。むしろ90年以降の財政抑制政策は「政官民癒着」にみられるモチベーションのクラウディングアウトに関わる問題や[要出典]、不況による税収不足の一方で増大する社会保障費により償還資金の手当てのための借換国債の問題などが焦点となった。
90年代には実質金利を高めるデフレがおきたことから、財政政策の不足が民間投資へ悪影響をもたらしているとの批判がなされた。この時期は金融機関の不良債権処理やBIS規制に対処するための強引な貸し渋り・貸し剥がし(信用収縮)が問題となっており、財政出動による有効需要拡大とマネーサプライ拡大(ヘリコプターマネーやインフレターゲット)を求める議会の要求が高まっていたものの、橋本政権の緊縮財政方針や小渕政権の大規模財政出動、2000年の日銀による金融引き締めなど経済政策が右往左往したこと(ストップゴー政策)で信用収縮は極まったとの批判がある。
また、人々が合理的に将来のことを予想すると仮定すると、消費者や企業は将来の増税を想定して将来にそなえ財政支出の拡大分とほぼ等しいだけの貯蓄を増やすようになるため[9]、結果的に総需要の増加幅は相殺され小さく留まり、財政政策は効き難くなる。特に、公的債務がある域値を超えて累積した状態では、このような将来の増税に向けての貯蓄が起こりやすくなるとの分析がある[10][11]。
日本
脚注
関連項目
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