クライスラーの偽作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 02:17 UTC 版)
「フリッツ・クライスラー」の記事における「クライスラーの偽作」の解説
クライスラーは演奏旅行先にある歴史ある図書館などで埋もれていた作品を発掘し、それを演奏会にかけることを楽しみにしていた。その埋もれた作品をそのまま演奏するのみならず、作品の旋律のごく一部を自作に取り入れ、その自作をしばしば「過去の(忘れられた)作曲家の作品を『再発見』した」と称して演奏・出版した。ある時、その演奏を聴いた評論家が「作品はすばらしいが、演奏は大したことがない」と斬って捨てた。それを聞いたクライスラーは激怒し(クライスラーは、評論家の批判に対しては滅多に怒らなかったようであるが、この時は逆鱗に触れる部分があったらしい)、抗議の手紙を評論家に送った。 1935年頃、その手紙を入手した『ニューヨーク・タイムズ』の音楽担当記者が、「編曲」と銘打っているのに原曲が世に出てこないことを疑問に思い、当時ウィーンに戻っていたクライスラーにそのことを尋ねて証拠品の提出を求めた。すると、クライスラーはあっさりと「○×作曲・クライスラー編曲」とある曲はほぼ自作であることを認めたばかりでなく、どの曲のどの部分をどう・どれだけ引用し、どの部分が自分の作曲であるか事細かく答えた。そして、事に及んだ理由として「自作ばかりじゃ聴衆が飽きるし、また自分の名前が冠せられた作品だと他のヴァイオリニストが演奏しにくいだろう? だから、他人の名前を借りたのさ」と答えた。 この爆弾発言は1935年2月8日の『ニューヨーク・タイムズ』で公表され、一大センセーションを巻き起こした。「クライスラーは、騙す気はなかったとしても30数年もの間音楽業界と聴衆を小馬鹿にしていた」と当時はそのことを問題視する向きもあったようであるが、クライスラーによってフランス・バロック音楽やヴィヴァルディの再発見のきっかけが作られた事実もまた否めない。「他のヴァイオリニストが演奏しにくい」点に関しては、完全にクライスラーの杞憂に終わり、その後は世界のヴァイオリニストの定番レパートリーとなっている。なお、クライスラーの「編曲」のうち、問題になったのはあくまでバロック期などの作品(を騙った作品)であり、古典派・ロマン派以降のものは純粋な編曲である。 他にはオーマンディが、「ラフマニノフの《交響的舞曲》のオーケストラ・ヴァージョンで、弦楽器の運弓(ボウイング)指定をクライスラーが行ったことをラフマニノフ自身に自慢された」との証言を残している。
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