クイック技で決着した主な試合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:44 UTC 版)
「フォール技」の記事における「クイック技で決着した主な試合」の解説
ジャイアント馬場&アントニオ猪木 vs. アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン(1979年8月26日のプロレス夢のオールスター戦) オールスター戦のメインイベントとして当時のライバル団体であった全日本プロレスと新日本プロレスの日本人エースコンビとヒールの外国人エースコンビが対戦したタッグマッチ。馬場と猪木としては自分たちがフォールを取られることはもとより、自団体のトップヒールに傷を付ける(ブッチャーが猪木に、またはシンが馬場にフォールされるなどの)事態も避けねばならず、かといって両者リングアウトなどの曖昧な決着も避けたいという局面であった。結局、猪木が自団体の外国人エースであるシンを逆さ押さえ込みでフォールして両団体の面目を保った。 スタン・ハンセン vs. ジャイアント馬場(1984年7月31日のPWFヘビー級選手権試合) 当時、絶頂期にあったハンセンに対して46歳とすでに全盛期を過ぎていた馬場が「この試合でタイトル奪還が出来なければPWFのタイトル戦線から降りる」と宣言して臨んだ試合。リングアウト勝ちや反則勝ちでは観客の納得を得られず、かといって大技の連続で勝つ力は明らかになくなっていた馬場が、ボディ・スラムにきたハンセンをスモール・パッケージ・ホールドで丸め込んで勝利。全日本復帰後のハンセンから初のフォール勝ちを収めると共にPWFヘビー級王者に返り咲いた。 ジャンボ鶴田 vs. 三沢光晴(1990年6月8日) 天龍源一郎の離脱で大ピンチに追い込まれた全日本を救うべく、2代目タイガーマスクだった三沢がマスクを脱いで鶴田への挑戦を宣言して組まれたシングル戦。「怪物」「完全無欠のエース」といわれた鶴田の実力は圧倒的で鶴田が有利の試合展開となったが三沢も随所で奮戦、最後には三沢のバックドロップを鶴田が反転して押しつぶしたところで三沢がさらに反転して一瞬のフォール勝ちを奪った。三沢の次期エースの座を決定的にした試合で「格下の者が格上の相手に勝つ場合」としてのクイック技の代表例。 秋山準 vs 小川良成(2002年4月7日GHCヘビー級選手権試合) ノア旗揚げ後から三沢、小橋ら旧四天王を次々と撃破、他団体へも積極的に進出し新時代のエースとして頭角を表していた秋山に対し、ジュニアヘビー級のウェイトながら主に三沢のパートナーとしてヘビー級戦線で活躍していた小川が初めてヘビー級のシングル王座に挑戦。秋山は小川を格下扱いし「5分以内に片付ける」と宣言し挑発。試合も秋山が一方的に攻め続けるが、リストクラッチ・エクスプロイダーでとどめを刺そうとしたところを小川が変型首固めで丸め込み、逆に5分以内で秋山を下し王座を奪取した。IWGP、三冠、GHCの三大メジャー王座を通して、体重100kg未満の選手がヘビー級のフラッグシップ・タイトルを獲得したのは小川が初である。
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