ノア旗揚げ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:00 UTC 版)
2000年6月13日、三沢は50余名の選手・社員と共に全日本プロレスを退団。後に業界最大手に君臨するプロレスリング・ノアを旗揚げした。この大量離脱に川田利明は従わなかったが、ノア旗揚げ後も三沢、田上、小橋、秋山らを中心として、GHCヘビー級王座をめぐり四天王プロレスと全く変わりない過激なレスリングを展開した。かつて四天王プロレスにおいてチャンピオンカーニバルが選手に大きな負担を与えたため、ヘビー級のシングルリーグ戦は開催しない方針を定めるなど、全日本プロレス時代に比べ頻度は減少したものの、コーナートップから場外へ落とすなど、試合はさらに過激化を遂げた。ノア旗揚げの時点で三沢、小橋はそれぞれ首や膝に深刻な障害を抱えており、小橋は治療のため長期欠場を繰り返している。一方の三沢は社長業の傍ら選手業も一切休むことはなかったが、首に関節ねずみを発症するなど、日常生活に支障をきたすまでであったとされる。
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