キリスト教での概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:09 UTC 版)
感謝はキリスト教徒の全生涯を形成 していくと言われている。マルティン・ルターは感謝を「キリスト教の基本的姿勢」と呼び、現在でも「キリストの説いた福音教義(gospel)の核心」として言及される。キリスト教徒には、自分達の創造主を礼賛して感謝を述べることが強く推奨される。キリスト教の感謝では、神があらゆる善行の無私無欲な贈り主と見なされており、このためキリスト教徒が共通の絆を共有して信徒のあらゆる生活側面を形成できる深い感謝の気持ちがそこにある。キリスト教における感謝とは、そうした理想をめぐる自分の考えや行動を形成するようキリスト教徒を啓発する神の寛大さ(God’s generosity)という認識である。単に感傷的な気持ちというよりも、キリスト教の感謝とは感情・思考のみならず行動・行為を形成する美徳と見なされている。ジョナサン・エドワーズ (神学者)は著書『宗教感情論 (A Treatise Concerning Religious Affections) 』の中で、真の宗教たる形跡には神への感謝およびありがたいという気持ちがあると記している。この解釈から、現代の宗教的スピリチュアリティの評価には神へのありがたいという気持ちや神への感謝に関する評価が含まれている。オールポート(1950)は熟慮された宗教思想は深い感謝の気持ちから生じることを示唆し、エドワーズ(1746/1959)は感謝の「慈愛(affection)」が人生において神の存在を見つける最も的確な方法の1つであると主張した。サミュエルズとレスター(1985)が行った研究では、カトリックの修道女と司祭の小さなサンプルながら、50種の感情のうち神に対して最も多く抱いた感情が愛と感謝であったと述べられている。 正教会、カトリック教会、ルーテル教会、聖公会では、最も重要な儀式が聖餐(エウカリスト)と呼ばれており、この名称は感謝という意味のギリシャ語「エウカリスティア(εὐχαριστία)」に由来している。
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