キリスト教との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:02 UTC 版)
ユダヤ教がヘブライ人に神の啓示の受け手を限定したのに対し、キリスト教は、民族という境界を越えて普遍化した宗教であるといってよい。しかしながら、ユダヤ教の選民思想を克服したキリスト教もまた、三位一体説において、イスラム教からみれば大きな問題を内包することとなる。 キリスト教の正統教義においてイエス・キリストは「真の神であり真の人である」とされる。イスラム教からみると、これはナザレのイエスという人間を特権化し、例外的に神の子として位置づけていると批判される。このことは、イスラム教からみて、全ての被造物が平等であるという論理を結果的に破綻させる可能性をはらむ。 イスラームのタウヒード論がキリスト教に対する批判のまなざしは、ユダヤ教の選民思想とは異なり、「精神的ものと物質的なものとの乖離、ならびに前者を後者の上に位置させる世界観である。このような差別的世界観が何に由来するのであるかは、やや複雑な問題である。しかし存在界を縦割りに序列化し、物質的な要素、世俗の世界の事柄は放置して、もっぱら精神的な事柄に関心を集中させるキリスト教の基本的な傾向は、すでに常識となっている」という、精神・物質の二元論的な考え方の批判になる。
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