カテゴリに対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:02 UTC 版)
「死と再生の神」の記事における「カテゴリに対する批判」の解説
死と再生の神を一般的なカテゴリとすることについては、還元主義的であるという批判がある。曰く全く異なる複数の神話を一つの箱に押し込み、その上で論争を闘わせても、本当の問題であるそれらの間の差違を隠蔽するだけである。そればかりでなく、死と再生は多くの他の信仰よりもキリスト教的信仰にとって中心的なものであるから、この種の論法はキリスト教をもってあらゆる宗教を判断する基準としかねない。この点に関して詳細は例えばヴァルター・ブルケルト(Burkert, 1987)およびマルセル・ドゥティエンヌ(Detienne, 1994)を参照されたい。 ドゥティエンヌを例にとると、彼は1972年の著書でアテーナイのアドニア祭において「アドーニスの園」と呼ばれるハーブガーデンの成長と枯死の儀式を研究した。これは麦などの作物を鉢植えにし、八日めに枯れた鉢植えをアドーニスの像とともに水中に廃棄する儀式であり、もっぱら女性が行ったが(後に転じて長期的な展望を伴わないずさんな育成を指すようになった)、ドゥティエンヌは一見大地の豊穣を表現しているかに見えるアドーニスの園が、実際には豊穣とは逆の不毛を表現していることを指摘している。 彼によると、これらハーブ(及び、その神アドーニス)は作物一般の代理人というより、香辛料をとりまくギリシア人の心と関連して形作られる複合体の一部をなしている。性的な誘惑、策略、健啖、出産への不安などといったものがその複合体には関連している。この観点では、アドーニスにまつわる神話や祭は古代ギリシア人の文化を分析するための多くのデータの中の一つに過ぎない半面、ドゥティエンヌの研究はオリエント起源の東方的な神話的人物であるアドーニスが、デーメーテールとコレー(ペルセポネー)の神話と対立する形でギリシア人の文化の中に体系的かつ多層的な形で取り込まれていることを解明している。この研究が明らかにしているのは、アドーニスが単なる植物神とするだけでは解釈できないほどに、古代ギリシア固有の社会的文化的文脈に沿った複雑な性格を持っていることであり、ましてやフレイザーの解釈のごとく穀物の精霊ではないということである。このドゥティエンヌの研究の背景には神話や儀礼をそれぞれの文化の違いを度外視し、類似性のみによって比較するフレイザー流の手法に対する批判があり、とりわけクロード・レヴィ=ストロースとジョルジュ・デュメジルの研究がそれを決定づけたといえる。
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