カップへの刻印
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:40 UTC 版)
「スタンレー・カップ」の記事における「カップへの刻印」の解説
カップには、獲得チーム選手全員の氏名が刻まれる。この点は過去における例外を除けば、プロスポーツ界における優勝杯としては異例のことである。氏名を刻み込むスペースがなくなると、カップには新しい「区画」が加えられ、その代わりに古い「区画」はホッケーの殿堂へ飾られることになる。 スタンレー・カップにその名前が刻まれる条件は、レギュラー・シーズンのうち少なくとも41ゲームに出場し所属チームが優勝した時点でもそのチームに在籍するか、プレイオフ決勝戦に優勝チームの一員で出場するかとされるが、ケース・バイ・ケースでNHLの判断で認められる場合もある(例えば1997年6月13日に交通事故に遭い選手生命を失ったデトロイト・レットウィングスのウラジミール・コンスタンチノフは特例が認められ1998年にチームが連覇した後名前が刻まれた。)。 カップへの選手名刻印は、常に行われてきたことではなく、元来、スタンレー卿が示した条件では、「カップ優勝チームは、自らの費用で、自らの勝利を記念するためにカップに銀のリングを付け加えることができる」とされていた。 ところが結局のところ、リングは唯一つ、モントリオールAAAが付加したのみにとどまった。その後、各優勝チームはこの唯一のリングに対し、スペースが1902年に無くなるまで名前の刻印を続けた。そして、スペースがなくなると1903年のモントリオールAAAから始まって1907年まで、杯そのものの表面にチーム名の刻印が行われたのである(このことは、各チームが第2のリングを付加する出費を厭ったものとする見方もある。)。特に、1907年のモントリオール・ワンダラーズは、杯の内側にその名を刻んでいる。 また、1908年は優勝チームのワンダラーズは、4チームもの挑戦をことごとく退けたのにもかかわらず、カップにチーム名を刻印しなかったが、その原因は、謎とされている。 1909年には、オタワ・セネターズがカップに新しいリングを付加した。これによって、新しいスペースが生じたにもかかわらず、1910年のワンダラーズ、そして1911年のセネターズが刻印を行わなかった原因もまた不明である。 かくして、新しいリングには、バンクーバー・ミリオネアーズの名前が刻み込まれることになるが、このチームは(当時の公式な選手権試合は、ワールドシリーズに類似のものであった。)正統的なカップ優勝チームといえず、ただ前年度優勝チームの所属したリーグで優勝したにとどまるのである。また、1915年から1918年までの間に刻印したチームについても、当時の「リーグチャンピオンシップ」条項があったことに起因するもので、公式的な意味でのスタンレー・カップ優勝チームとはいえないことに留意する必要がある。 その後、1924年にモントリオール・カナディアンズが第3のリングをカップに付加するまで、どのチームもが名前を刻印していないことも一つの謎とされる。これ以降は、チーム名及び選手名を刻印することが毎年の恒例となり、この伝統は途切れたことがない。
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