カスリーン台風に伴う改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:41 UTC 版)
「利根川橋梁 (東北本線)」の記事における「カスリーン台風に伴う改修」の解説
1947年(昭和22年)の9月14日から15日にかけて、カスリーン台風が関東地方を襲い大雨を降らせ、利根川は右岸で決壊した。この洪水を受けて利根川改修計画が再改訂され、利根川橋梁付近では計画高水位が1.84メートル引き上げられ、また左岸側(古河側)に川幅を約131メートル拡幅することになった。これによって利根川橋梁も橋桁の2.5メートル扛上(こうじょう、位置を引き上げること)と追加の径間の増設が必要となった。 この桁扛上に伴い、前後のアプローチ部分も全体に嵩上げが必要となり、この関係で取り付け勾配が約150メートル程度長くなって、栗橋駅が約200メートル東京側に移転することになった。1948年(昭和23年)12月から準備工事が始まり、栗橋駅の移転や橋梁前後のアプローチ改良工事が進められた。1950年(昭和25年)3月25日より、栗橋駅から古河側に仮設した中田信号場までの区間を単線運転として、列車を下り線橋梁に通しながら上り線の改良工事を開始した。桁の扛上は1メートル、1メートル、0.5メートルの3回に分けて実施され、桁を扛上した後に橋脚を継ぎ足す工事を繰り返した。これに伴って橋脚の強度不足となる場合には鉄筋コンクリートを新たに巻きたてた。上下線の休止を切り替えながら順次施工され、扛上と新径間増設が完成した。この時に新規に5連の下路鈑桁(スルーガーダー)が古河側に追加設置されて拡幅された。この結果利根川橋梁の延長は763.06メートルとなった。総工費は3億3500万円で、住友建設他が担当し、1951年(昭和26年)8月に完成した。
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