オーナーとしてF1参戦
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「鈴木亜久里」の記事における「オーナーとしてF1参戦」の解説
詳細は「スーパーアグリF1チーム」を参照 2005年には夢であったF1チームの所有に向けて動き出す。ディレクシブの支援を受け、ホンダに対してB・A・Rの共同経営を提案。その後紆余曲折を経て、ホンダからエンジン供給を取り付け、一からチームを立ち上げることを決意した。 2005年11月1日には、翌年よりスーパーアグリ・フォーミュラ1としてF1に参戦する予定であると発表(2006年3月24日にスーパーアグリF1チームに変更)。供託金振込みの延滞によりエントリーリストから漏れるも、12月20日には参戦中の10チーム全てから「レイト・エントリー」への同意を取り付け、ようやく2006年1月27日にFIAからのエントリー許可を得た。 元は因縁のウォーキンショーが所有していたアロウズの施設とメンバーを中心にしたスタッフで構成され、シャシーについても、参戦までの時間的制約と、過去2年間に他チームが使用したシャシーは知的所有権の譲渡を含めて使用できないという国際自動車連盟 (FIA) の判断が下されたことから、旧アロウズが2002年シーズンに使用していたA23をベースにした「SA05」で開幕後数戦に参戦することとなった。 2006年シーズンは準備期間の短さ、マシンの戦闘力不足、ドライバーの井出有治のスーパーライセンス剥奪、大口スポンサーの獲得失敗による資金不足といった苦難に立ち向かいながら、後半戦にSA06とSA06Bを投入。獲得ポイント0点でデビューシーズンを終えた。 2年目の2007年は前半戦に佐藤琢磨が2度の入賞を果たす躍進を遂げた。しかし、ばんせい山丸証券の紹介でメインスポンサーに就任した「SS UNITED GROUP」が資金未払い問題を起こし、チームの資金繰りが悪化した。 2008年は中東の投資会社ドバイ・インターナショナル・キャピタル (DIC) へオーナーシップを譲る交渉を続け、開幕戦から出場することができた。しかし、土壇場でDICが翻意したため、スペインGP後の5月6日にF1撤退・チーム解散を表明した。
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