オレシニツァ公とは? わかりやすく解説

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オレシニツァ公国

(オレシニツァ公 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 23:31 UTC 版)

エールス公国
Herzogtum Oels (de)
Olešnické knížectví (cs)
Księstwo Oleśnickie (pl)
1313年 - 1884年
(国章)
首都 オレシニツァ
オレシニツァ公
1313年 - 1321年 ボレスワフ
1803年 - 1884年 ヴィルヘルム
変遷
グウォグフ公国から分立 1313年
ボヘミア王冠領の属領 1328年
プロイセン王国の属領 1742年
プロイセン王国による併合 1884年
オレシニツァ公国の地図、1720年頃
オレシニツァ城

オレシニツァ公国またはエールス公国ラテン語: Ducatus Olsnensisドイツ語: Herzogtum Oelsチェコ語: Olešnické knížectvíポーランド語: Księstwo Oleśnickie)は、シロンスク公国群を構成していた公国の一つ。首都は現在のポーランド領オレシニツァにあった。

歴史

オレシニツァ一帯は当初ヴロツワフ公国に属していたが、グウォグフヘンリク3世レグニツァ=ヴロツワフ公ヘンリク5世の紛争の後、1294年にグウォグフ公国に併合された。ヘンリク3世が1309年に死ぬと、グウォグフ公国の分割に伴ってオレシニツァは大幅な自治権を獲得し、1313年にはヘンリク3世の3男ボレスワフがこの地に公国を創設した。ボレスワフが1321年に死ぬと、公国はその兄コンラト1世に受け継がれた。

コンラト1世は一族のポーランド王ヴワディスワフ1世の圧迫から逃れるためボヘミア王冠の元に庇護を求め、1328年ボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクに臣従の礼をとった。シロンスク・ピャスト家の流れをくむオレシニツァ公家は1492年、コンラト10世の死により断絶した。ボヘミアの先王イジーの息子インジフ1世が当主のいなくなったオレシニツァ公国を獲得し、1495年にはボヘミア王ヴラジスラフに同国の領有を認めさせた。

ポジェブラト家も1647年には断絶し、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世は同公国を、ポジェブラト家最後の公カレル・ベジフの娘と結婚したヴュルテンベルク家出身のヴュルテンベルク=ユリウスブルク公ジルフィウス1世ニムロートに与えた。公国は長くボヘミア王冠の属領であったが、シュレージエン戦争の結果、1742年プロイセン王国に征服された。しかしヴュルテンベルク家の公爵達は領主として同国を領有し続け、1792年に公国はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯カール1世の息子の一人フリードリヒ・アウグストに相続された。

1815年からオレシニツァ公国(当時はエールス公国)はブラウンシュヴァイク公国同君連合を結成、同国最後の統治者ヴィルヘルム1884年に死ぬまでこの関係は続いた。

オレシニツァ公

シロンスク・ピャスト家
  • ヘンリク3世(在位:1293年 – 1309年)
  • ヘンリク4世、コンラト1世、ボレスワフによる共同統治(1309年 – 1312年)
  • コンラト1世、ボレスワフによる共同統治(1312年 - 1313年)
  • ボレスワフ(在位:1313年 – 1321年)
  • コンラト1世(在位:1321年 - 1366年)
  • コンラト2世(在位:1366年 – 1403年)
  • コンラト3世(在位:1403年 - 1412年、1377年より父と共同統治)
  • コンラト4世、コンラト5世による共同統治(1412年 - 1416年)
    • 1416年、コンラト4世は統治権を失い、1447年に死ぬまでケンティ・ヴロツワフスキェ及びビェルトゥフのみを支配した。
  • コンラト5世、コンラト6世、コンラト8世による共同統治(1416年 - 1427年)
  • コンラト5世(1427年 - 1439年)
  • コンラト7世(在位:1439年 - 1450年、ケンティ・ヴロツワフスキェおよびビェルトゥフを1447年に相続、1450年退位)
  • コンラト9世、コンラト10世による共同統治(1450年 - 1452年)
  • コンラト9世(在位:1439年 - 1471年)
  • マウゴジャタ・ラフスカ(在位:1471年 - 1475年、寡婦領として領有、1475年までに退位)
  • バルバラ(在位:1475年 - 1478年、コンラト10世およびハンガリー王マーチャーシュ1世の後見下、1479年までに退位)
  • コンラト10世(在位:1478年 - 1489年)
  • ハンガリー王・ボヘミア王マーチャーシュ1世(在位:1489年 - 1490年)
  • コンラト10世(在位:1490年 - 1492年、復位)
  • ボヘミア王国による併合(1492年 - 1495年)
ポジェブラト家
  • インジフ1世(在位:1495年 - 1498年)
  • イジー1世、アルブレフト、カレル1世による共同統治(1498年 - 1502年)
  • アルブレフト、カレル1世による共同統治(1502年 - 1511年)
  • カレル1世(在位:1511年 - 1536年)
  • ヨアヒム、インジフ2世、ヤン、イジー2世による共同統治(1536年 - 1548年)
  • ヨアヒム(1562年没)、ヤン、イジー2世、インジフ3世による共同統治(1548年 - 1553年)
  • ヤン(在位:1553年 - 1569年)
  • インジフ3世、カレル2世による共同統治(1569年 - 1587年)
  • カレル2世(1587年 - 1617年)
  • インジフ・ヴァーツラフ、カレル・ベジフによる共同統治(1617年 - 1639年)
  • カレル・ベジフ(在位:1639年 - 1647年)
ヴュルテンベルク家
ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家

オレシニツァ公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 19:06 UTC 版)

オレシニツァ公国」の記事における「オレシニツァ公」の解説

シロンスク・ピャスト家 ヘンリク3世在位1293年1309年ヘンリク4世コンラト1世ボレスワフによる共同統治1309年1312年コンラト1世ボレスワフによる共同統治1312年 - 1313年ボレスワフ在位1313年1321年コンラト1世在位1321年 - 1366年) コンラト2世在位1366年1403年) コンラト3世在位1403年 - 1412年1377年より父と共同統治) コンラト4世、コンラト5世による共同統治1412年 - 1416年1416年、コンラト4世統治権失い1447年に死ぬまでケンティ・ヴロツワフスキェ及びビェルトゥフのみを支配した。 コンラト5世、コンラト6世、コンラト8世による共同統治1416年 - 1427年) コンラト5世1427年 - 1439年) コンラト7世(在位1439年 - 1450年、ケンティ・ヴロツワフスキェおよびビェルトゥフを1447年相続1450年退位) コンラト9世、コンラト10世による共同統治1450年 - 1452年) コンラト9世(在位1439年 - 1471年) マウゴジャタ・ラフスカ(在位1471年 - 1475年寡婦領として領有1475年までに退位バルバラ在位1475年 - 1478年、コンラト10世およびハンガリー王マーチャーシュ1世後見下、1479年までに退位) コンラト10世(在位1478年 - 1489年ハンガリー王ボヘミア王マーチャーシュ1世在位1489年 - 1490年) コンラト10世(在位1490年 - 1492年復位ボヘミア王国による併合1492年 - 1495年) ポジェブラト家 インジフ1世在位1495年 - 1498年イジー1世、アルブレフト、カレル1世による共同統治1498年 - 1502年) アルブレフト、カレル1世による共同統治1502年 - 1511年カレル1世在位1511年 - 1536年ヨアヒム、インジフ2世ヤンイジー2世による共同統治1536年 - 1548年ヨアヒム1562年没)、ヤンイジー2世、インジフ3世による共同統治1548年 - 1553年ヤン在位1553年 - 1569年) インジフ3世カレル2世による共同統治1569年 - 1587年カレル2世1587年 - 1617年) インジフ・ヴァーツラフ、カレル・ベジフによる共同統治1617年 - 1639年) カレル・ベジフ(在位1639年 - 1647年ヴュルテンベルク家 ジルフィウス1世ニムロート(在位1647年 - 1664年、カレル・ベジフの娘エリシュカ・マリアと結婚) カール・フェルディナント(在位1664年 - 1668年) ジルフィウス2世フリードリヒ在位1668年 - 1697年) クリスティアン・ウルリヒ1世在位1697年 - 1704年カール在位1697年 - 1745年カール・フリードリヒ2世在位1704年 - 1744年1761年退位) カール・クリスティアン・エルドマン(在位1744年 - 1792年ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家 フリードリヒ・アウグスト在位1792年 - 1805年、カール・クリスティアン・エルドマンの一人娘フリーデリケ・ソフィーと結婚フリードリヒ・ヴィルヘルム在位1805年 - 1815年カール2世在位1815年 - 1826年廃位ヴィルヘルム在位1826年 - 1884年1884年、オレシニツァ及びビェルトゥフはプロイセン王国併合される

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