コンラト2世シヴィとは? わかりやすく解説

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コンラト2世シヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 07:07 UTC 版)

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コンラト2世シヴィ
Konrad II Siwy
オレシニツァ公
在位 1366年 - 1403年

出生 1340年
死去 1403年6月10日
配偶者 アグニェシュカ・チェシンスカ
子女 コンラト3世
家名 シロンスク・ピャスト家
父親 オレシニツァ公コンラト1世
母親 エウフェミア・ビトムスカ
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コンラト2世シヴィ(Konrad II Siwy, 1340年頃 - 1403年6月10日)は、オレシニツァ、コジュレ、ビトム半国の公(在位:1366年 - 1403年)、シチナヴァ半国の公(在位:1396年 - 1403年)。オレシニツァ公コンラト1世の一人息子、母はコジュレ=ビトム公ヴワディスワフの娘エウフェミア。灰公(Siwy)の異称で呼ばれた。

父が1366年に死ぬとその遺領をすべて相続した。コンラト2世の治世についてはよく知られていない。1377年、コンラト2世は同名の息子コンラト3世を共同統治者とした。1397年には、ジャガン=グウォグフ公ヘンリク8世よりシチナヴァ半国を遺贈されている。

1354年2月23日チェシン公カジミェシュ1世の3女アグニェシュカ(1338年 - 1371年4月27日)と結婚し、一人息子をもうけた。

  1. コンラト3世(1359年頃 - 1412年12月28日)

参考文献

先代:
コンラト1世
オレシニツァ公
コンラト3世と共同統治(1377年より)

1366年 - 1403年
次代:
コンラト3世スタルィ
コジュレ公
コンラト3世と共同統治(1377年より)

1366年 - 1403年
ビトム公(半国)
コンラト3世と共同統治(1377年より)

1366年 - 1403年
先代:
ヘンリク8世ヴルベル
シチナヴァ公(半国)
コンラト3世と共同統治

1397年 - 1403年




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