オリンピック以外の競走と引退後の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 08:14 UTC 版)
「ラッセ・ビレン」の記事における「オリンピック以外の競走と引退後の生活」の解説
1974年初に足の複雑な手術を行った後、1974年ヨーロッパ陸上競技選手権大会(英語版)でイギリス選手ブレンダン・フォスターの後塵を拝して13分24.57秒の成績で銅メダルを獲得した。その2日後、ヘルシンキでの競走では13分26秒の成績を出してスウェーデン選手アンデルス・ヤーデルードを下して勝利した。さらに3日後にはロンドンのクリスタル・パレスでの2マイル競走で再びフォスターと競走した。今度もフォスターが勝利、ビレンは2着の選手より0.06秒遅いだけだったが4着に終わった。ビレンは1974年に10000メートル競走の生涯最高成績を出しており、この年の9月21日にフィンランド対ソビエト連邦の対抗戦で28分22.6秒の好成績を出して優勝した。 ビレンはオリンピック以外の競走で2マイルと5000メートル競走の世界記録を更新した。2マイルは1972年8月14日に8分14.0秒を記録、5000メートルは1972年9月14日に13分16.4秒を記録しており、両方とも1972年オリンピックの前後のことだった。 ビレンはオリンピックがない年には5000メートル競走で常に13分36秒以下の成績を出しており、13分30秒以下の成績を出すときもあった。一方、10000メートル競走の成績が28分を下回ったのはオリンピックがある年だけだった。 1979年、ビレンはニュージーランドで陸上競技選手権大会に参加しつつ1980年のオリンピックへの準備を進めた。 1977年にフィンランドの彫刻家エイノが始めたラッセ・ビレン・フィンランド選抜大会(英語版)(後に「ラッセ・ビレン20K」として知られた)はカリフォルニア州マリブ近くのポイント・ムグ国立公園(英語版)の一部である大シカモア峡谷(英語版)で行われた、年次の路外競走大会であり、2012年まで行われている。 選手生涯が終わった以降、フィンランドで知名度のある人物になり、国民連合党の一員としてフィンランド議会で1999年から2007年、および2010年から2011年まで議員を務めた。ビレンは2011年の選挙では出馬しなかった。 2014年、ビレンは国際陸上競技連盟の陸上殿堂に入選した。
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