エコー1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 09:20 UTC 版)
「エコー (人工衛星)」の記事における「エコー1号」の解説
1960年5月13日のエコー1号を搭載したソー・デルタの打ち上げの失敗の後、エコー1A号(通常、エコー1号は1A号を指す)が1960年8月12日に打ち上げられ、1519 x 1687 kmの低軌道(LEO)への投入に成功した。この衛星は直径が100フィート(約30m)の気球で、0.5ミル(約0.01mm)の厚さの金属コーティングされたマイラーポリエステルフィルムでできており、打ち上げ時には折りたたまれている。エコー1号は、その金属薄膜の表面で電波を反射することによって信号を中継する受動的な通信衛星である。これは、中継機を用い、受信した信号を地表に送信する、現在の能動的な通信衛星とは異なる。このエコー衛星を用いることにより、大陸内や大陸間の国際電話、ラジオ音声、テレビジョン信号の伝送に成功した。 以上のような実用的成果以外にも、この衛星の面積/質量の比の値が極めて大きいことは、その軌道変化から衛星軌道の希薄大気の密度や、太陽光の放射圧の算出といった、宇宙科学の成果もあった。可視光領域にも高い反射能を持ち、それ自身の大きさと、さらに1500kmという低軌道としては比較的高い軌道は可視パスが多い(衛星を肉眼で観察するには、観察地点には太陽光が当たっておらず、かつ、衛星には太陽光が当たっている、という両方の条件を満たす必要があり、高度の低い衛星はその距離のために明るく見えるがこの条件を満たしにくい)という特性があり、人工天体の中で最も多くの人が目にしたとも考えられている。1968年5月24日、エコー1A号は大気圏に再突入して燃え尽きた。この衛星はプロジェクト関係者により、衛星(satellite)と風船(balloon)の合成語のサテルーン(satelloon)というニックネームがつけられていた。
※この「エコー1号」の解説は、「エコー (人工衛星)」の解説の一部です。
「エコー1号」を含む「エコー (人工衛星)」の記事については、「エコー (人工衛星)」の概要を参照ください。
- エコー1号のページへのリンク