ウージー短機関銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 15:09 UTC 版)
1948年、イスラエルが建国され、これに伴い第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)が勃発した。ガル自身も前線に派遣され、ガリラヤを巡る戦いなどに参加している。1949年に士官教育を受けた後、兵器製造部門(TAASの前身)に配属され、以後27年間務める。当時、ハガナーを前身として編成されたイスラエル国防軍では、依然として世界中からかき集められた雑多な装備が溢れ、兵站や整備の面で問題を引き起こしていた。そうした状況下において、イギリス製ステン短機関銃を更新する新たな短機関銃の需要が生じていた。軍部は2人の技術将校、すなわちハキム・カラ少佐(Chaim Kara)とガル中尉に新型短機関銃の設計を命じた。1951年、砂漠地域で行われたトライアルの結果、ガルの設計案が優れていると判断された。 ガルの手がけた短機関銃は彼の名を取ってウージー(Uzi)と呼ばれた。使用弾薬は9x19mmパラベラム弾で、砂漠地域での運用を想定して埃や砂が入り込んでも動作するように設計されていた。また、当時としては珍しかったグリップの中に弾倉を収める構造は、夜間の弾倉交換を容易にするための設計である。すなわち、夜間でも自らの両手を合わせることはできるので、弾倉交換の際にも従来の一般的な短機関銃のように前方の弾倉口を探す必要がなくなるのである。これはガル自身の経験に基いて行われた工夫だった。ガルは「革命ではなく進化を」という考えのもとで銃器設計を行っており、特異なものを考案するよりは基本的な設計を洗練していくことに重点を置いていたという。 国防軍では1955年からウージーの配備を開始した。また、国外の軍や警察からも注目が集まり、広く輸出された。イスラエルはウージーの輸出によって数十億ドルもの利益を上げたが、ガル自身は通常の給与以外受け取っていなかった。1967年には設計の改良が行われた。1980年には特殊部隊などでの運用を想定した小型モデル、ミニ・ウージーが発表された。さらにピストルサイズまで小型化されたマイクロ・ウージーも後に発表されている。 1967年に勃発した第三次中東戦争(6日戦争)の時点でもウージーは現役だったが、この時の戦訓から国防軍でも近代的な突撃銃の配備が求められるようになった。1970年代初頭、ウージーを更新する新規自動火器採用のため実施されたトライアルでは、ガル中佐が提出した新型ウージーとイスラエル・ガリリ(Israel Galili)が手がけたガリル突撃銃が有力候補と見なされており、最終的にガリル突撃銃が最も優れたスコアを示した。
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