ウメオIK時代
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2008年に大学に籍を置いたままスウェーデンへ渡り、ダームアルスヴェンスカン所属のウメオIKに入団し、リーグ戦や女子スウェーデンカップ、UEFA女子カップなどに出場した。在籍中、2度のリーグ優勝とUEFA女子カップ決勝戦進出を経験した。
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ウメオIK時代
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「マルタ・ビエイラ・ダ・シルバ」の記事における「ウメオIK時代」の解説
2004年、マルタはスウェーデン・ダームアルスヴェンスカンに属する強豪クラブ、ウメオIKに入団。彼女が入団当時、ウメオIKはUEFA女子カップ2003-04に参戦中であり、決勝戦で1.FFCフランクフルトと対戦する事になっていた。マルタは計2試合行われた決勝戦の両方に出場し、合計3得点を挙げて優勝に貢献した。2004年度リーグでは、ウメオIKはユールゴルデン&アルヴシェを勝ち点差1で追いかけている状態だった。ウメオIKはクラブ全体で106得点を挙げ(ユールゴルデンは74得点)、うち彼女は22得点を挙げたが、勝ち点差1のままユールゴルデンが優勝した。女子スウェーデンカップでは大会得点王となったが、決勝戦でユールゴルデン相手に1-2で敗れた。 マルタにとっては、2年目となる2005年度シーズンはシーズンを通して無敗でのリーグ優勝という結果をもって終わった。マルタは合計21得点を挙げて優勝に貢献した。優勝争いのライバルであったユールゴルデンに、リーグでは7-0というスコアで圧勝もした。しかしスウェーデンカップの決勝戦では逆に1-3のスコアで敗北し、ユールゴルデンのカップ2連覇を目の前で見ることになった。 2006年度シーズン。ウメオIKは前年度同様リーグ戦無敗優勝を遂げ、マルタも昨年同様合計21得点を挙げた。UEFA女子カップでは、準決勝でノルウェーのコルボトンILと対戦し、2試合で11得点の成績で決勝戦へと進出したが、マルタは第1戦・第2戦の双方で得点を挙げた。しかしこの好調ぶりは3回連続で起こることはなかった。女子スウェーデンカップの準決勝で、リンシェーピングFCに2-3のスコアで負け、ウメオIKは準決勝で敗退した。 2007年4月、ウメオIKはUEFA女子カップ決勝戦でアーセナルLFCと対戦し、0-1のスコアで敗北して準優勝の成績で大会を終えた。しかし、マルタはウメオIKにおいては好成績を挙げ続けていた。この年の女子スウェーデンカップでは、AIK戦でハットトリックを挙げ、4-3で勝利した。3点目は試合終了の3分前に決め、決勝点となった。リーグ戦では2位のユールゴルデンIFダームに9点もの勝ち点差をつけて優勝した。マルタはリーグ通算で25得点を挙げ、その年の得点王ロッタ・シェリンに次いで得点ランキング2位となった。 2008年度の女子スウェーデンカップでウメオIKは優勝し、マルタは自らの履歴に新たなタイトルを刻んだ。同年度のシーズン終了後、10月に行われたWPSの国際ドラフトで、マルタはロサンゼルス・ソルから1位指名を受けた。翌2009年1月、FIFA最優秀選手賞の授賞式の席上、マルタはロサンゼルス・ソルと3年契約を結んだことを発表した。 マルタがウメオIK時代のチームメイトヨハンナ・フリスクの獲得をロサンゼルス・ソルに要請したことが原因で、スウェーデンのテレビ局TV4スポーツのパトリック・エクヴァルがマルタを厳しく批判する声明を出した。この時エクヴァルは、マルタとフリスクがレズビアンで、ふたりが交際していると言及したが、これはマルタ・フリスクの双方が強く否定した。 2005年、スウェーデンのテレビ局がマルタを取り上げたドキュメンタリー番組、"Marta - Peles kusin" (マルタ - ペレの従姉妹) が制作・放送した。
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