ウクライナ東部・南部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:37 UTC 版)
「2014年ウクライナ騒乱」の記事における「ウクライナ東部・南部」の解説
2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱も参照。 2月22日、親ロシア・ウクライナ表面団体はウクライナ南部(英語版)及びウクライナ東部(英語版)で会議を開いた。主催者のアンドリー・クリュイェフは同団体は準同盟地域の連邦議会との議論を意図したものであると述べた。 野党の案が議会によって可決されたあと、ヤヌコーヴィチはキエフからハルキウへ訪れ、前述の会議に出席している(ベルクト軍はこの事態を踏んでハルキウへ集まっている)。 ユリー・ルシェンコが報告したように、2月22日深夜0時以降、ウクライナ保安庁は分離主義を主張しているハルキウ州知事マイクハイロ・ドブキン(英語版)とハリコフ市長ヘンナディー・ケルネス(英語版)の訴訟手続きを進めている。しかし、内務省はケルネス市長とドブキン知事がロシアに逃亡したと報告している。 2月22日、ハルキウの南部・東部の議会では国内における憲法及び秩序保護の責任を負う準備が出来ていると宣言する決議が可決された。最近キエフで起こっている出来事が中央政府を麻痺させ、国を不安定にさせているのだと議員は述べている。また、議会の権限について、拒否する声明に署名している。 2月23日、議会は少数民族言語に関する法律を撤回する法案(英語版)を可決した。大統領が署名した場合、法案はウクライナ語をウクライナ唯一の公用語として確立されたと見られる(ウクライナ語を公用語とする地域はロシア語話者の多いクリミアも含んでいる)。クリスチャン・サイエンス・モニターはこの法案はロシア語話者の不満を募らせるだけであると報じたが、ヤヌコーヴィチ政府を打倒したキエフにおける反政府デモがウクライナの国家主義を意図しているのだと見ている。2月28日、トゥルチノフ大統領はこの法案に対して拒否している。 2月23日、ハルキウで数千人の親政府派と反政府派が拮抗している衝突が発生、ケルネス市長は市議会に入ろうとした際に妨害されている。 ウラジーミル・レーニンの銅像は親露派の抗議者により見張られていたが、州政府は2月25日に銅像を解体することを発表した。 2月24日、アバコフ内務大臣はハルキウに拠点を置く反ユーロマイダン組織オプロットの指導者であるイェブヘン・ズイリンによる刑事事件が発覚したと発表した。 3月1日、ハルキウ・ドネツィク・シンフェロポリ・オデッサ・ルハーンシク・メリトポリ・イェウパトーリヤ・ケルチ・マリウポリで数千人が新政府に対して抗議活動が行われた。4月に行われた公式調査では、ウクライナ東部の大半の人が新政府全体は違法であると考えていた。また、トゥルチノフ大統領についても回答者の半数が違法と回答しており、ヤツェニュク首相主導の中央政府に関しても同意見であった。ヤヌコーヴィチは法で認められる限りの大統領ではないと回答した人は70%近くに上っている。
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