インドネシアの美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/04 21:00 UTC 版)
インドネシアの芸術と文化は先住民の慣習と外国の影響との長い相互作用によって形作られてきた。インドネシアは極東と中東との古くからの交易路の中心にあり、多くの文化的実践においてヒンドゥー教、仏教、儒教、イスラームなど多くの宗教の影響を強く受けてきた(主要な交易都市では特に)。それ故に元の先住民の文化とは大いに異なる文化が複雑に混ざり合っている。インドネシアは青銅器時代と鉄器時代が長かったが、芸術形式は特に8世紀から10世紀にかけて、単独の芸術作品としても、寺院に取り入れられたものとしても栄えた。 代表的なものは、ジャワ島中部にあるボロブドゥール寺院のレリーフ彫刻である。三キロメートル余りの精妙な浮き彫りは釈迦の生涯をもの語り、その教えを説いている。寺院には元は504体の仏の坐像が存在していた。この遺跡はジャワ中部の他のものと同じく、インドからの明らかな影響を示している。 インドネシアは絵画では一般的に知られていないが、緻密で表現豊かなバリの絵画は別で、多くは自然の光景や伝統舞踊からの主題を表現している。 他の例外はクニャの壁画のデザインで、オーストロネシア文化でよく見られるものと同様に、木生羊歯や、木々、犬、サイチョウの仲間、人の形などの地域特有の自然のモチーフを基にしている。これらは東カリマンタンのアポ・カヤン地域の、クニャー・ダヤクのロングハウスで壁が装飾されているのが今でも見られる。 カリグラフィーの多くはクルアーンに基づいており、イスラームが自然描写を禁じているので装飾としてよく用いられる。一部の外国人の画家もインドネシアに定住してきた。現代のインドネシアの画家は幅広い様式と画題を用いている。
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