インディアナポリスへの移転
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「インディアナポリス・コルツ」の記事における「インディアナポリスへの移転」の解説
スタジアム老朽化に伴い、チームオーナーのロバート・アーセイは新スタジアム建設を求めたが、ボルティモア市との交渉ははかどらず、アーセイはひそかにインディアナポリス市への移転交渉を進めた。この移転計画を知ったメリーランド州議会は、チームの所有権をボルチモア市に強制的に移転する法案を提出した。ここに至ってアーセイは密かに移転を決意し、1984年3月29日の夜中に大手引越会社メイフラワー・トランジットのトラック数台で、秘密裏にインディアナポリスに荷物を運び出し、移転を決行した。ボルティモア市との間に訴訟が発生したが、1986年までには和解した。ストライキが再び行われた1987年にチームはロサンゼルス・ラムズ、バッファロー・ビルズとの三角トレードによってエリック・ディッカーソンを獲得した。この年ディッカーソンの活躍もありチームは10年ぶりに地区優勝を果たしプレーオフに出場した。 1988年にドラフト3巡目でQBクリス・チャンドラーを指名した。同年、デンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールでは、MNF記録となる55得点をあげた。それまでの記録は1982年にサンディエゴ・チャージャーズがあげた52得点であった。 1990年にはNFLドラフト全体1位でQBジェフ・ジョージを獲得したがこの指名権を得るためにクリス・ヒントンとアンドレ・ライズンをアトランタ・ファルコンズに放出した。1991年、チームは1勝15敗のNFLワーストの成績に終わり1992年のドラフトでは全体1位、2位指名権を得てスティーブ・エントマン、クウェンティン・コリャートの指名を果たした。1994年にドラフト全体2位で獲得したマーシャル・フォークは最優秀新人選手に選ばれる活躍を見せ、翌1995年には9勝7敗の成績ながらQBジム・ハーボーやフォークの活躍でAFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズに16-20と敗れた。1996年も地区3位ながらワイルドカードでプレーオフに出場したが初戦でスティーラーズに敗れた。1997年は3勝13敗の地区最下位で終えたが、1998年のドラフト全体1位でペイトン・マニングを獲得した。
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