イリノイ・セントラル鉄道事故報告書
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「ケイシー・ジョーンズ」の記事における「イリノイ・セントラル鉄道事故報告書」の解説
衝突の5時間後には車掌による報告がなされており、これによれば事故原因は「適切な距離にいた旗手による信号を、第1列車の機関士が見落とした」というものだった。その後に発表されたイリノイセントラル鉄道公式報告書でもこれが採用された。 A.S.サリバンによるイリノイセントラル鉄道の公式事故報告書は1900年7月13日に発表されたが、「ニューベリー旗手による信号を機関士が見落としたもので、責任は一にジョーンズにある」とされた。ジョーンズが衝突した南行第83貨物列車の旗手であるジョン・M・ニューベリーは、3,000フィート手前の線路上に信号雷管をセットし、さらに500ないし800フィート南に進み、そこでジョーンズの列車に対して旗を用いた信号を送ったという。しかしニューベリーによるこの証言には裏付けとなる証拠はなく、本当はそこにいなかったのではないかと考える者もいる。旗の振り方がまずかったのではないかと考える者もいたが、ニューベリーは旗手として充分な経験を持っており、直前には第25列車に信号を出して停車させている。 火夫であるシムは雷管の爆発音を聞き、進行方向右側にある機関士席側に行った際に、赤白のランプを持った旗手を見たと述べた。さらに、火夫側に戻った時に第83列車の車掌車のマーカーを見て、ジョーンズに声を掛けたという。しかしこれには矛盾があり、旗手がその報告通りに、設置した雷管のさらに500ないし800フィート南側で合図をしていたとすると、順番が逆になる。信号雷管が爆発した時、列車はすでに旗手を通り過ぎており、乗務員に旗手が見えるはずがない。したがって、シムの証言通りであるならポイントから3,500ないしは3,800フィート離れた位置ではなく、3,000フィート程度しか離れていなかったことになり、これはまさに「ジョーンズには旗手が見えなかった」ということになる。 第25列車を止めた後、第72列車のブレーキホース故障の騒ぎが起こり、第83列車が本線を支障してしまった。このとき、旗手がジョーンズの列車が来るにはまだ時間があると思い、様子を聞きに第83列車に行った、と考えることは可能である。その後、旗手は北に向かって歩いていき、信号雷管を取り付けたが、報告書によればさらに500ないし800フィート先に行きつく前に、ジョーンズの列車の音が霧の向こうから聞こえてきた。この通りだとすれば、ジョーンズは500ないし800フィートの制動距離を失ったことになる。この距離は衝突を回避するのに十分な距離であった。 事実がどうであったにせよ、鉄道史家のうちの幾人かは「ジョーンズの機関士としての経験を考慮すると、旗手の信号を見落として、照明弾や信号雷管の爆発で初めて危険を察知したとは信じることはできない」として、公式報告書に異議を唱えている。 シムは公式事故報告書が公になったやや後から死ぬまで、「我々は旗手や照明弾を見ていないし、信号雷管の爆発音も聞いていない。何も知らずに車掌車に突っ込んだのだ。」と主張し続けた。
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