イザナギプロジェクトとは? わかりやすく解説

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イザナギプロジェクト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:06 UTC 版)

河内風穴」の記事における「イザナギプロジェクト」の解説

鈴鹿プロジェクトから12年経ち2000年になると、大阪教育大学ケイビングクラブOB杉林理雄をリーダーとして再びひみず会による河内風穴調査合宿組まれた。7月15日から16日東京スペレオクラブの後藤聡ら、西日本洞窟潜水研究会J.E.T.亀戸ケイビングクラブ、明治大学地底研究部地底旅団ROVER元老院参加しベンチマーク確認、未測量部分確認およびケイビングによる環境破壊確認目的調査が行われた。 これがきっかけとなり、2001年東京スペレオクラブ主催調査プロジェクト計画された。2001年11月3日から11月4日にかけて、東京スペレオクラブに加え西日本洞窟潜水研究会および大阪市立大学探検部により調査が行われた。この活動河内プロジェクトという仮称呼ばれていたが、活動リーダー本田雅により多賀大社祭神である伊弉諾因み「イザナギプロジェクト」という名称が提案され、これが第1回イザナギプロジェクトとなったベンチマーク設置され新最奥部測量開始された。 2002年には後藤聡リーダーとなってイザナギプロジェクトが開催され洞内環境保護のため希少な鍾乳石のある範囲トラロープ設置された。2003年頃には西日本洞窟潜水研究会によって、第二水流上流部向けて試験的な潜水が行われ、河内風穴第二水流上流空間続いており、奥から大量流れ大水脈であることが確認された。また蟻の巣測量開始された。 2005年には日本洞窟学多賀大会開かれた後藤ほか (2005)は河内風穴総延長を6,800 m更新したまた、河内観光協会向けにケイバーによる河内風穴観察会も行われ、鐘の鳴池までのガイドが行われた。 2006年8月5日には一般人河内風穴非公開部分の洞奥に立ち入ることができるイベントである、多賀自然と文化の館(現多賀町博物館主催観察会が開かれた。イザナギプロジェクトもこの観察会のスタッフとして参加し2008年以降はイザナギプロジェクト主催河内風穴観察会開催されるようになった2008年観察会はイザナギプロジェクトおよび多賀町観光協会共催多賀町多賀町教育委員会河内観光協会後援のもと9月21日行われたまた、イザナギプロジェクトの協力で、VINZによりDVD神秘洞窟 河内の風穴」が撮影された。2009年にも11月29日同様に観察が行われた。 2010年11月時点報告では、新最奥部蟻の巣水流部や石切場上層測量結果などが加えられ総延長は9,845 mだとされた。 イザナギプロジェクトには東京スペレオクラブ以外にも立命館大学探検部大阪市立大学探検部をはじめとした探検部参加している。イザナギプロジェクトは洞窟調査教育の場としても機能しており、測量技術習得にも寄与している。 イザナギプロジェクトによる測量活動及び観察会は現在も続けられている。2020年5月現在、最後観察会は2019年11月24日行われている。

※この「イザナギプロジェクト」の解説は、「河内風穴」の解説の一部です。
「イザナギプロジェクト」を含む「河内風穴」の記事については、「河内風穴」の概要を参照ください。

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