イザナギプロジェクト
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鈴鹿プロジェクトから12年経ち、2000年になると、大阪教育大学ケイビングクラブOBの杉林理雄をリーダーとして再びひみず会による河内風穴の調査合宿が組まれた。7月15日から16日に東京スペレオクラブの後藤聡ら、西日本洞窟潜水研究会、J.E.T.、亀戸ケイビングクラブ、明治大学地底研究部、地底旅団ROVER元老院が参加しベンチマークの確認、未測量部分の確認およびケイビングによる環境破壊の確認を目的に調査が行われた。 これがきっかけとなり、2001年に東京スペレオクラブ主催の調査プロジェクトが計画された。2001年11月3日から11月4日にかけて、東京スペレオクラブに加え、西日本洞窟潜水研究会および大阪市立大学探検部により調査が行われた。この活動は河内プロジェクトという仮称で呼ばれていたが、活動リーダーの本田幸雅により多賀大社の祭神である伊弉諾に因み「イザナギプロジェクト」という名称が提案され、これが第1回イザナギプロジェクトとなった。ベンチマークが設置され、新最奥部の測量が開始された。 2002年には後藤聡がリーダーとなってイザナギプロジェクトが開催され、洞内環境保護のため希少な鍾乳石のある範囲にトラロープが設置された。2003年頃には西日本洞窟潜水研究会によって、第二水流上流部に向けて試験的な潜水が行われ、河内風穴の第二水流は上流に空間が続いており、奥から大量の水が流れる大水脈であることが確認された。また蟻の巣の測量が開始された。 2005年には日本洞窟学会多賀大会が開かれた。後藤ほか (2005)は河内風穴の総延長を6,800 mに更新した。また、河内観光協会向けにケイバーによる河内風穴の観察会も行われ、鐘の鳴池までのガイドが行われた。 2006年8月5日には一般人が河内風穴非公開部分の洞奥に立ち入ることができるイベントである、多賀の自然と文化の館(現多賀町立博物館)主催の観察会が開かれた。イザナギプロジェクトもこの観察会のスタッフとして参加し、2008年以降はイザナギプロジェクト主催の河内風穴観察会が開催されるようになった。2008年の観察会はイザナギプロジェクトおよび多賀町観光協会の共催で多賀町、多賀町教育委員会、河内観光協会の後援のもと9月21日に行われた。また、イザナギプロジェクトの協力で、VINZによりDVD「神秘の洞窟 河内の風穴」が撮影された。2009年にも11月29日に同様に観察会が行われた。 2010年11月時点の報告では、新最奥部や蟻の巣、水流部や石切場上層の測量結果などが加えられ、総延長は9,845 mだとされた。 イザナギプロジェクトには東京スペレオクラブ以外にも立命館大学探検部や大阪市立大学探検部をはじめとした探検部が参加している。イザナギプロジェクトは洞窟調査の教育の場としても機能しており、測量技術の習得にも寄与している。 イザナギプロジェクトによる測量活動及び観察会は現在も続けられている。2020年5月現在、最後の観察会は2019年11月24日に行われている。
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