アーセナル入団まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 05:48 UTC 版)
「ティエリ・アンリ」の記事における「アーセナル入団まで」の解説
父親はグアドループでプロサッカー選手をしていたが、生活の安定を求めてフランス本土に渡り、パリ郊外でティエリを育てた。6歳の時に地元のクラブであるレ・ジュリス・フットボールに入団し、クラブでの練習のない日は厳格な父親による英才教育を受けた。なお、このクラブからはパトリス・エヴラもプロサッカー選手に育った。12歳から15歳の間は色々なクラブを転々としたが、クレールフォンテーヌ(INF、フランスサッカー学院)に入学して英才教育を受けた。なお、一度は入学試験に落とされたが、辞退者が出たために入学を許可されたという経歴を持つ。 本人が語るところによると、INF卒業後にベルサイユのクラブに1シーズンだけ在籍しており、22試合に出場し76得点を記録しているとのこと。この時にASモナコのスカウトが視察した試合で7得点を決め、16歳の時に父アントワーヌが仮契約書にサインしASモナコに入団。 ASモナコの下部組織での活躍により、当時トップチームの指揮官であったアーセン・ベンゲルに抜擢され、1994年8月31日にOGCニース戦でリーグ・アンデビュー。1994-95シーズンは8試合に出場し3得点の成績を残した。なお、この当時のアンリのポジションはフォワードではなくウイングであった。1995-96シーズンは母国で開催された欧州U-19選手権のメンバー入りも果たす。1996-97シーズンには36試合に出場し9得点でチームのリーグ優勝に貢献し、UEFAカップでも初得点を記録。リーグ・アン年間最優秀若手選手にも選出される。 1998-99シーズン途中に監督ジャン・ディガナとの衝突が原因でセリエAのユヴェントスFCに移籍。モナコでは起用法を巡ってのすれ違いから退団を決めたが、移籍先のユヴェントスでも不慣れな左ウイングバックでの出場を余儀なくされ、実力をほとんど発揮できずに3得点でシーズンを終える。その頃に、モナコでアンリをトップチームに抜擢したアーセン・ベンゲルから「もし、イタリアでうまくいかなければ、私がまた獲得する」と促されており、その言葉を追うように1999年8月3日にベンゲルが指揮を執るプレミアリーグのアーセナルFCに入団。この件にはアーセナルがニコラ・アネルカをレアル・マドリードに約45億円で移籍させた背景もあり、アンリ獲得のためにアーセナル側が積んだ金額はアネルカの移籍で得た収入の約半分である。
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