アンソニーの時代
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「デンバー・ナゲッツ」の記事における「アンソニーの時代」の解説
2003-04シーズンは、ドラフトでカーメロ・アンソニーを獲得し、久々のプレーオフ進出となった。続く2004-05シーズン、17勝25敗と負け越すと、シーズン半ばでジョージ・カール監督を迎え、その後は32勝8敗と急回復してナゲッツは再び5割以上の勝ち星を上げるチームになっていった。 2005-06シーズンは、地区優勝を決めて第3シードとなったが、プレイオフ1回戦の相手、第6シードのロサンゼルス・クリッパーズより勝率が悪かったため、ホームコートアドバンテージを得ることができず、1-4で敗退、バンダウェイはチームを去った。 2006-07シーズン12月、ニューヨーク・ニックス戦でJ.R.スミスにフレグラントファールをしたジェイソン・コリンズをアンソニーが殴ったため、15試合の出場停止処分が下った。チームはその危機を救うべく、フィラデルフィア・セブンティシクサーズからリーグ屈指のガード、アレン・アイバーソンをアンドレ・ミラーらとのトレードで獲得。アンソニー復帰後の4月には10勝1敗を記録し、アンソニーとアイバーソンはリーグで最も得点をあげるデュオとなった。 2007-08シーズンには1980年代以来となる50勝32敗の好成績を収めたが、このシーズンのウェスタンカンファレンスのプレーオフ進出争いは異常に過熱し、ナゲッツは50勝をあげながらも第8シードとなり、シーズン勝率首位のロサンゼルス・レイカーズの前にスイープ負けを喫した。ちなみに、ナゲッツはこの時期、ディフェンスが弱いためDのないデンバー(DENVER)をエンバー(ENVER)と言われてしまっている。 2008-09シーズン11月、開幕直後アレン・アイバーソンをトレードでデトロイト・ピストンズに放出。代わりに2004年のNBAファイナルMVPを受賞したチャウンシー・ビラップスを獲得。ビラップス加入後チームは結束し、怪我や病に苦しんだネネイの躍進、ベンチ陣の奮闘もあり54勝28敗 第2シードでシーズンを終えた。開幕前にマーカス・キャンビーをサラリー軽減だけのために放出した事もあり誰もが予想だにしなかった結果だった。プレーオフでは24年ぶりにカンファレンスファイナルに進出した。ちなみにこの思わぬ展開に会場の問題が発生。第4戦が行なわれる5月25日のペプシ・センターはすでにアメリカのプロレス団体WWEが前年の8月に仮予約し、4月の段階で正式に抑えていた。最終的に試合の5日前、オーナーのクランケが強権発動によりナゲッツの試合が行なわれることになったが、WWE会長のビンス・マクマホンは「クランケはオーナーのくせに自分のチームの進出を信じていなかった」と批判。結局、WWEは当日はナゲッツの対戦相手であったロサンゼルス・レイカーズの本拠地ステイプルズ・センターで公演を行ない、TV収録大会であったためナゲッツを皮肉するストーリラインを展開。なお、ステイプルズ・センターの利用料はナゲッツ側が負担した。 2009-10シーズン終盤に、ジョージ・カールが癌治療のためチームを離れた。53勝の好成績でプレーオフに進んだが、1stラウンド敗退に終わった。
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