アリウス派とニカイア派(アタナシオス派)の論争内容
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「アタナシオス派」の記事における「アリウス派とニカイア派(アタナシオス派)の論争内容」の解説
アリウス派はイエス・キリストの神性を否定していたと言われることがあるが、アリウスもキリストの神性については進んで言おうとしていた。アリウス派とニカイア派の論点は、子なる神が永遠の昔から存在していたか否か、子なる神は被造物か否か、その神性は同本質か否か、といった問題にあった。 アリウス派の主張の概略を挙げる。 イエスにおいて受肉(藉身)したロゴスは永遠の昔から存在したものではなく、被造物であった。 イエス・キリストの神性は本性によるのではなく養子とされたことによると強調。 これに対し、アレクサンドリア主教アレクサンドロス(アレクサンドリアのアタナシオスの師)は、子(イエス・キリスト)の完全で永遠の神性を強調し反駁(つまり「子」は被造物ではなく、永遠の昔から存在したと主張)。ニカイア公会議においてはアタナシオスがアリウス主義への反駁に活躍した。 その結果、ニカイア公会議において、アリウス主義を異端と断罪しつつニカイア信条が採択されたが、問題となる部分は次の通りである。 ...Πιστεύομεν εἰς ἕνα κύριον Ἰησοῦν Χριστόν, τὸν υἱὸν τοῦ θεοῦ, γεννηθέντα ἐκ τοῦ πατρὸς μονογενῆ, τουτέστιν ἐκ τῆς ουσίας τοῦ πατρός, θεὸν εκθεοῦ ἀληθινου, γεννηθέντα, οὐ ποιηθέντα, ὁμοούσιον τῳ πατρί, δι’ οὗ τὰ πάντα ἐγένετο, τά τε ἐν τῳ ούρανῳ καὶ τὰ ἐπὶ τῆς γῆς, τὸν δι’ ἡμᾶς τοὺς ἀνθρώπουςκαὶ διὰ τὴν ἡμετέραν σωτηρίαν κατελθόντα καὶ σαρκωθέντα και ενανθρωπήσαντα, παθόντα, καὶ ἀναστάντα τῇ τριτῇ ἡμέρᾳ, καὶ ἀνελθόντα εἰςτοὺς οὐρανούς, καὶ ἐρχόμενον κρῖναι ζῶντας καὶ νεκρούς. — ニカイア信条(ギリシャ語版)の一部、Σύμβολο της Νίκαιας (325) また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。 — ニカイア信条日本語訳の一部、『信條集前編』(著作権者)日本基督教協議会文書事業部 新教出版社 1955(ウィキソース) このように、ニカイア公会議はイエス・キリストについて、以上のように「神の御子~(中略)~来たり給う」とまとめたが、父(父なる神)と子(子なる神)は同本質(同質、ホモウシオス、ギリシア語: όμοούσιος)であるとした定式の妥当性を巡る議論はその後も継続した。「同本質」の語彙からは、ニカイア派から異端とされたサベリウス主義への傾斜が警戒されたためであった。 父と子の同本質(同質、ホモウシオス)を巡る最終的な解決は第一コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会)まで持ち越されることとなり、その決着にはカッパドキア三教父が活躍した。
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