アメリカン・モーターズ創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:48 UTC 版)
「ナッシュ・モーターズ」の記事における「アメリカン・モーターズ創設」の解説
第二次大戦後のアメリカ自動車業界では、デトロイト・ビッグスリーの伸長に圧され、その他の独立メーカーの経営不振が顕著になっていた。歴史あるメーカーのナッシュもその例外ではなく、経営強化策が急務となった。 1954年1月にナッシュはハドソン・モーター・カー・カンパニーを友好的に買収合併し、アメリカン・モーターズ・コーポレーション(AMC)となった。 合併した会社の財務状況を改善するため、1955年式のナッシュモデルとハドソンモデルは、ナッシュのケノーシャ工場ですべてを生産することになった。マーケティング予算は、ナッシュ社では小型車のランブラーモデルに、ハドソン社ではフルサイズ乗用車に、それぞれ集中させた。 既にナッシュもハドソンも、ビッグスリーのような頻繁なモデルチェンジで市場のトレンドを牽引するような余裕はなくなっていた。1955年には効率化のためナッシュとハドソンのフルサイズ車ボディシェル共用化が行われ、多くのパーツを共用化することになった。ビッグスリー各社はワイドレンジなモデル展開を行っていたため、このようなコストダウン策は戦前から当たり前に行っていたが、ナッシュとハドソンの場合は両ブランドの切迫を意味する、厳しい消極策であった。 ナッシュ・メトロポリタンは英国BMCと共同製作された。これはナッシュとハドソンの両ブランドで販売され、1957年にはランブラーと同様メトロポリタン自体がブランドとなった。 1954年の合併直後、CEOのジョージ・メイソンが死去した。メイソンの後継者ジョージ・ロムニー(George W. Romney)は、もはやフルサイズカーの分野でAMCとナッシュ・ハドソンがビッグスリーに対抗できなくなっていることを認識していた。彼はAMCの存続策として、当時ビッグスリーが着目していなかったニッチ分野のコンパクトカー・クラスであるランブラーシリーズにシフトし、フルサイズ車生産から撤退、そのネームであるナッシュ・ハドソンを1957年式で終了することとした。1957年6月25日、ナッシュおよびハドソン・ブランドでの自動車生産は終了した。 1958年から1965年まで、AMCではメトロポリタン以外ではランブラーだけを販売した。販売店のショールームでは1962年まで残っていた。ロイ・アバーネシー(en)の元で、ランブラー名は1965年から縮小に入り、1969年以降は廃止された。 1970年、アメリカン・モーターズはカイザージープ社を買収した。同社はウイリス=オーバーランド・モーターズ社を前身とする自動車メーカーでオハイオ州トレドで生産していた企業である。 AMCは1980年代初期にはアメリカ市場への再参入を模索していたルノーとの協力関係を結んだ。AMCは1987年にクライスラーに買収され、ジープ=イーグル部門となった。
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