アメリカン・レコーディングス
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「ジョニー・キャッシュ」の記事における「アメリカン・レコーディングス」の解説
コロムビアとの契約が終了した後、1987年から1991年、マーキュリー・レコードと短期間契約したが、ヒットしなかった。 1990年代、伝統的なカントリーのファン以外からも注目されるようになり、再び脚光を浴びるようになった。1991年、クリスチャン・パンク・バンドのワン・バッド・ピッグのアルバム『I Scream Sunday 』で『メン・イン・ブラック』を歌った。1993年、アイルランド出身のロックバンド・U2のアルバム『ズーロッパ』中の『ワンダラー(The Wanderer )』にゲスト参加した。これ以上メジャーなレコード会社を探すことはせず、ラップやハードロックで有名な気鋭プロデューサー、リック・ルービンのアメリカン・レコーディングスからオファーを受け本格的にソロ活動を再開した。ちなみにルービンは元はラップのプロデューサーでRun-D.M.C.のプロデュースによりエアロスミス復活にも貢献した人物だが自身のレーベル「アメリカン」を創始後はトム・ペティらと契約するのを革きりにドノヴァンらルーツ・ミュージックのアーティストの復活に貢献した。リック・ルービンは、その後も2007年度グラミー賞でベスト・プロデューサー・オブ・イヤーを受賞している。 1994年、ルービンの指示のもと彼のリビング・ルームでキャッシュと長年共に演奏してきたマーティン・ドレッドノートのギター演奏で『American Recordings 』をレコーディングした。ルービンが選んだコンテンポラリー・アーティストのカヴァーを特徴とし、高評価を得て商業的にも成功し、グラミー賞最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバム賞を受賞した。MTVでビデオクリップがオンエアされ、ロック世代の若者ファンを少し獲得した。またキャッシュは1994年のグラストンベリー・フェスティバルでの歓迎ぶりは彼の経歴の中でも大きなできごとの1つだったと記した。以降約10年間、音楽業界での称賛および商業的成功が続くこととなった。Red Hot Organization によるエイズのチャリティ・アルバム『Red Hot + Country 』の中で『フォーサム・プリズン・ブルース』を歌うためにブルックス&ダンと組んだ。またこのアルバムの中でボブ・ディランの曲『Forever Young 』も演奏した。 キャッシュと妻はジェーン・シーモア主演の『ドクタークイン 大西部の女医物語』に出演した。シーモアはキャッシュを高く評価し、双子の息子の1人に彼の名前を付けた。『ザ・シンプソンズ』のエピソード『El Viaje Misterioso de Nuestro Jomer (The Mysterious Voyage of Homer) 』でホーマー・シンプソンをスピリチュアル・クエストに案内するのスペース・コヨーテ役で声のカメオ出演した。1996年、キャッシュはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと共に『Unchained』を発表し、グラミー賞最優秀カントリー・アルバム賞を受賞した。1975年の自伝『Man in Black 』で書ききれなかったことを1997年の『Cash: The Autobiography 』で書いたとされる。
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