アメリカでの衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 01:19 UTC 版)
「トレイン・シェッド」の記事における「アメリカでの衰退」の解説
19世紀末からは、アメリカでは巨大化した駅の建設に関して経済性がより重視されるようになり、トレイン・シェッドにかけられる費用は減少に転じた。1894年に開業したセントルイスのユニオン駅(英語版)は、当時「世界最大の駅」と宣伝され、幅600フィートのトレイン・シェッドに覆われていた。しかし外観では一つのアーチのように見えるものの、天井は低く抑えられた上に内部はいくつもの支柱があり、窮屈な印象は否めないものであった。トレイン・シェッドの拡大競争は限界に達しており、ペンシルバニア鉄道以外の会社はもはや追随を諦めていた。1899年のボストン南駅でも、シェッド内に支柱を置く方式がとられた。 1906年には、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道のホーボーケン駅において、リンカーン・ブッシュの発明した「ブッシュ式シェッド」と呼ばれる新たな形の屋根が実用化された。これはプラットホーム上の柱で支えられる鉄筋コンクリート製の屋根で、高さはレール面から16フィート(約5m)しかない低いものだった。蒸気機関車の排煙のため、線路の上の部分には溝が開けられていた。1918年以降はブッシュ式シェッドの新設もなくなり、以後は「蝶(バタフライ)型シェッド」とも呼ばれるプラットホームだけを覆う形の上屋が造られるのみとなった。 一方で、コンコースの建築は重視され続けた。セントルイス・ユニオン駅ではトレイン・シェッド形の高い屋根を持つ大ホールが建設されたが、これは本来のトレイン・シェッドが低く抑えられたのとは対照的であった。ワシントンD.C.のユニオン駅では、トレイン・シェッドが皆無であるにも関わらず、「トレイン・シェッドのような」コンコースが造られた。 20世紀半ばからは、長距離旅客列車の衰退もあり、既存のトレイン・シェッドも取り壊されたり他の目的に転用されたりしている。その傍らで、トレイン・シェッド建築の伝統は駅コンコースを経て空港ターミナルビルへと受け継がれている。ミノル・ヤマサキらの設計したランバート・セントルイス国際空港などが代表例である。またトレイン・シェッドの径間をめぐって繰り広げられていた企業や技術者の競争は、20世紀前半には超高層ビルの高さを舞台に展開されることになる。 ショッピングセンターに転用されたセントルイス・ユニオン駅トレイン・シェッド ホーボーケン駅 セントルイス・ユニオン駅大ホール ワシントンD.C.ユニオン駅コンコース ランバート・セントルイス国際空港ターミナルビル
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