アフリカ大陸の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:32 UTC 版)
「デズモンド・ムピロ・ツツ」の記事における「アフリカ大陸の現状」の解説
ツツは国内業務の傍らで、アフリカの他の地域での出来事にも注意を向け、1987年にはトーゴのロメで開催された全アフリカ教会会議(英語版)(AACC)で基調講演を行った。それにおいて彼はアフリカ大陸の全域で抑圧されている人々を支えるために教会に呼びかけ、「アフリカの大部分で現在、自由(freedom)と個人の権利(liberty)が、邪悪な植民地時代よりも存在しないということを認めなければならないのは痛ましいことだ。」と述べた。この会議で、彼はAACCの理事長(president)に選出され、ジョセ・ベロ(José Belo)が事務総長(general-secretar)に選出された。「アフリカの再生(African renaissance)」を大陸全土に呼びかけたこの大会は、ツツとベロの10年間続くパートナーシップを形成した。1989年、彼らはザイールの教会が、モブツ・セセ・セコの独裁政府から距離を置くことを促すため、この国を訪問した。1994年、ツツとベロはAACCとカーター・センター(英語版)の共同ミッションの中で、戦争で荒廃したリベリアを訪問した。この時彼らはチャールズ・テーラーに面会したが、ツツは彼の停戦の約束を信用することはできなかった。1995年、マンデラはツツをナイジェリアに派遣し、投獄された政治家モシュード・アビオラ(英語版)とオルシェグン・オバサンジョの解放を求めるため、ナイジェリアの軍指導者サニ・アバチャに面会させた。ルワンダ虐殺の翌年である1995年7月、ツツはルワンダを訪問し、彼はキガリの10,000人の人々に説教を行い、南アフリカでの彼の経験を描写して、虐殺を行ったフツ人に対して、彼らの正義よりも慈悲を優先するよう求めた。ツツはまた、世界の他の地域へも旅をした。例えば1999年にはパナマとニカラグアで過ごした。
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