アイルランド移民の入植
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:47 UTC 版)
「ビーバー島 (ミシガン湖)」の記事における「アイルランド移民の入植」の解説
ストラングがいなくなったあと約200人の信徒が島から去り、残っていた信徒たちも、数週間後には暴徒に襲われて島を追放された。マニトウ郡の郡役所や裁判所は空席となり、無法地帯として知られるようになった。1895年、ミシガン州議会はマニトウ郡を廃止し、ビーバー諸島をシャルルボア郡とリーラノー郡に分割した。 島の住民は周辺の島々や港湾からのアイルランド移民、祖国のドニゴール県からの漁師が占め、日常会話や教会の礼拝もゲール語で行われるようになった。アイルランド系の入植者にとって、奇妙な新宗教は恨みをもって記憶されていた。ストラング派の痕跡は彼らによって失われたと考えられるが、現在でもストラング暗殺の地には看板が立てられ、通りや湖などにはモルモン教徒の地名が残っている。 アイルランド系の漁師が定着して以降、ビーバー島は「アメリカのエメラルド・アイル」と呼ばれるようになり、国内随一の淡水魚の好漁場として繁栄を喫した。しかし、19世紀後半には本土の漁師による漁場の争奪や漁獲量の急減によって危機に見舞われた。20世紀初頭にはビーバー島材木会社が鉄道を敷設してシカゴやデトロイト向けの大規模林業経営に乗り出した。このころ、近隣のハイ島やガーデン島にも白人やインディアンの集落があったが、経済的圧力によりこれらの島は放棄された。 19世紀後半には観光業が本格化し、手つかずの自然が残る保養地として売り出された。20世紀前半には別荘が開発され、シカゴなどの中西部の都市の家族を受け入れるようになった。1905年には電信ケーブルが開通し、1936年には小型発電機に代わって発電所が島内に開設されるなどインフラも改善された。 1940年代に漁獲量の減少によって商業漁業が衰退を迎えると、1000人以上いた島の人口は200人を下回り、学校や診療所も閉鎖された。しかし1970年代後半には、ミシガン州全域の観光業の振興とともに、ビーバー島でも不動産や住宅を購入する人々が増加した。今日では、島の主産業は建設業が占めるようになっている。
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