その他の南宋画家とは? わかりやすく解説

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その他の南宋画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)

中国の絵画」の記事における「その他の南宋画家」の解説

年(りゅうしょうねん、生没年不明銭塘杭州)の人。紹熙年間(1190 - 1194年)の画院待詔代表作に『四景山水図』、『羅漢図』(台北故宮博物院)などがある。 李迪(りてき、生没年不明孝宗寧宗期の画院画家河陽河南孟県)の人。花鳥画よくした梁楷りょうかい生没年不明) - 東平の人。南宋になってからは銭塘に住む。寧宗嘉泰年間(1201 - 1202年)の画院待詔であった。酒を愛し性格豪放で、自ら「風子」と称した(「風子」は「狂人」の意)。減筆体(少ない筆のタッチで描く)の人物画特色発揮した代表作に『李白吟行図』(東京国立博物館)などがある。 漢臣(そかんしん、生没年不明) - 開封の人。北宋末から南宋初の宮廷画家人物、特に子供の絵を得意とした。台北故宮博物院の『秋庭戯嬰図』はヤジロベエ遊び熱中する姉弟描いたもので、漢臣の作と伝えられる。 揚無咎(ようむきゅう、1097 - 1169年) - 江西清江の人。字は補之(ほし)。梅花の絵を専門にした。 趙孟堅(ちょうもうけん、1199 - 1264年) - 宋朝宗室出身で、厳州知州という地位にあった松竹梅を主に描いた李嵩(りすう、生没年不明) - 銭塘杭州)の人。光宗寧宗理宗画院活動した人物を主に描くが、山水花鳥画もある。 牧谿もっけい生没年不明) - 南宋末の禅僧理宗度宗時代活動した臨安杭州長慶寺の僧で、俗姓法諱は法常で、牧谿は号。禅僧余技として山水、蔬果などを描いた日本において特に評価が高い。代表作に『写生蔬果図鑑』など。 瀟湘臥遊図しょうしょうがゆうず) - 乾道5・6年(1169・1170年)頃、舒城生作の水墨山水画巻。東京国立博物館董源巨然米芾父子系統を引く江南山水画代表作として名高い李公麟の作と伝承されていたが、実際作者は「舒城生」で、舒城地名)のという姓の画家であることしかわからない。 張沢端清明上河図李唐松風図』 徽宗『搗練図』 劉年『羅漢図』

※この「その他の南宋画家」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「その他の南宋画家」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。

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