その他の事業・社会活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 03:28 UTC 版)
「森村市左衛門」の記事における「その他の事業・社会活動」の解説
貿易の専門家として1882年の日本銀行設立時に監事となった経験を活かし、1897年に森村銀行を設立した(1929年に三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)が吸収合併)。1895年には植林を目的として森村同族株式会社(現:森村産業株式会社)を設立し、山梨県富河村(現:南巨摩郡南部町)の山林を購入した。 また、市左衛門は教育・社会活動にも非常に積極的で、1901年に財団法人森村豊明会を設立し、教育事業や社会事業に多額の寄付を行った。豊明会の名称は、設立前年の1900年に相次いで死去した弟・豊と長男・明六の名から命名したものである。長男・森村明六は慶應義塾に入学の後、福沢諭吉が米国に留学させ、在米中の生活費や授業料などの必要経費は森村ブラザースの森村豊を経由して拠出されていた。明六は、明治25年(1892年)に慶應義塾卒業後の7年目に他界し、その56日後に、弟・森村豊も亡くなった為、長男と実弟の哀悼の意をあらわして市左衛門は「慶應義塾基本金」に六千円を寄贈。その後も、慶應義塾大学については、三田大講堂の建設(後に戦災で焼失した)や日吉台植樹資金寄附に尽力、慶應義塾特選塾員となった。 他、東京工業大学、早稲田大学、日本女子大学、高千穂大学にも多額の寄付を行っており、早稲田大学については、理工科開設期に基金管理委員に就任し寄附を、また6号館応用化学実験室「豊明館」の建設資金寄附をし、早稲田大学終身維持員となった。また、日本女子大学附属豊明小学校・幼稚園は、森村豊明会の寄付を記念して命名されたものである。 さらに、1910年には自邸内に私立南高輪尋常小学校・同幼稚園(現:森村学園)を創設した。 この他にも北里柴三郎の活動を早くから支援し、1892年に設立された伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所、初代所長は北里柴三郎)や、北里が伝染病研究所から独立して1914年に設立した北里研究所にも多額の寄付を行った。 1915年にそれまでの功績に対して男爵・従五位に叙せられた。1919年に胃の幽門部の癌と萎縮腎のため79歳で死去し、正五位勲三等瑞宝章が追贈された。次男森村開作が7代目市左衛門を襲名した。
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