そのほかの聖パトリック十字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 16:40 UTC 版)
「聖パトリック旗」の記事における「そのほかの聖パトリック十字」の解説
幾人かの著者は、聖ジョージや聖アンドリューと異なり、聖パトリックは殉教者ではないということをもって十字のシンボルを使うのは不適当だと述べている。しかしながら、そのほかにも聖パトリックと結び付けられた十字は存在している。 古いハイクロス (high cross) のなかで「セント・パトリック・クロス」と呼ばれているものは、その聖人と伝説的なかかわりをもつ場所に存在している。たとえば、ロック・オブ・キャセルは、パトリキウスがマンスター王 (en:King of Munster) Óengus mac Nad Froíchに洗礼をした場所とされる。そして、聖パトリックの苦行 (St Patrick's Purgatory) が行われたとされるドニゴール県ダーグ湖 (ロッホ・ダーグとも) に浮かぶステーション・アイランド (Station Island) にもある。18世紀まではリヴァプールにもセント・パトリック・クロスがあり、彼がアイルランドへ派遣される前に説法をしたであろう場所に置かれていた。メイヨー県バリナにおいて1970年に採用された紋章には、441年にパトリキウスが訪れたとされるLeigue墓地の岩に刻まれていた聖パトリック十字をその構図に含んでいる。 セント・パトリック半ペニー硬貨 (St. Patrick halfpenny) では、パトリックは総大司教十字が頭についた司教杖を持つ形で描かれている。 1935年のある文章においては、アイルランド・カトリック連合の時代において「本当の聖パトリック十字は四角い旗で、赤いサークルの緑地に白十字であった。」と述べている。1679年のある紋章学に関する小冊子においては、十字軍の折にアイルランドの民族によって生み出された紋章は「黄色地に赤十字」であったと述べている。1688年、ランドルフ・ホーム (Randle Holme III (1627–1700)) はこの十字 (もしくはギュールズ十字) を「アイルランドのための」「聖パトリック十字」であると、はっきり述べている。1914年のアイルランド義勇軍 (Irish Volunteers) のゴールウェイ県部隊はこれに近い旗を「これはクロムウェルの時代にアイルランドの旗として使われていたものだ」として採用している。 パピーズ・ライブラリーのコレクションに収蔵されているブロードサイド (Broadside) の中のひとつ「ティーグとソウニー:もしくは聖パトリック十字による大変に面白い献身の無残なる成功。ディールのワーリーギグに変わるのこと。(Teague and Sawney: or The Unfortunate Success of a Dear-Joys Devotion by St. Patrick's Cross. Being Transform'd into the Deel's Whirlegig.)」とよばれる1690年ごろのものでは、アイルランド人 (ティーグ Teague。侮蔑的な意味でカトリック教徒、ひいてはアイルランド人を表す) とスコットランド人 (ソウニー Sawney。侮蔑的な意味でスコットランド人) が風車を初めて見て、聖アンドリュー十字か聖パトリック十字かで口論をする。この中で両者はステレオタイプ的な馬鹿として描かれている。
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