そこに情熱を見た
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:26 UTC 版)
「1984-1985シーズンのNBA」の記事における「そこに情熱を見た」の解説
前季、ついにファイナルで相対したロサンゼルス・レイカーズとボストン・セルティックスの決戦は、全米の期待に背かない熱戦となったが、レイカーズとロサンゼルス市民にとっては60年代に味わった屈辱を再び味わう結果となった。ファイナル8度目の対決は、8度目のセルティックス勝利で終わったのである。敗因の一端を担ったマジック・ジョンソンはファイナル敗退が決まった夜、親友のアイザイア・トーマスやマーク・アグワイアらと共に夜を過ごしたが、バスケットに関することは一言も話さなかったという。傷心のマジックはオフにコンバースのCMでラリー・バードと初競演し、2人はこの撮影で初めて親交を温めた。 勝利の余韻と敗北の屈辱に浸る時間も束の間、新シーズンはスタートし、セルティックスもレイカーズも変わらずリーグトップの実力でそれぞれのカンファレンスを制した。そしてセルティックスは2年連続でリーグトップの勝率を収め、ラリー・バードは2年連続MVP、ケビン・マクヘイルはシックスマン賞を獲得し、ディフェンディングチャンピオンとしての実力を知らしめた。しかし華々しい成績とは裏腹に、チーム内ではいくつかの問題を抱えていた。先発の一人だったジェラルド・ヘンダーソンは契約問題に折り合いがつかずシーズン前にチームを去っており、4年目のダニー・エインジが大きな成長を見せていたものの、バックコートの層の薄さは明らかだった。さらにセドリック・マックスウェルは慢性的な膝の故障を抱えるようになっていた。 一方リベンジに燃えるレイカーズは磐石な体制を整えつつあった。ジェームス・ウォージーがジャマール・ウィルクスに代わっていよいよ頭角を現し、ここにカリーム・アブドゥル=ジャバー、ジェームス・ウォージー、マジック・ジョンソンのNBA史上でも屈指のラインが誕生し、"ショータイム"バスケットが完成した。このシーズンのスリーポイントシュート1位に輝いた2年目のバイロン・スコットは有力なスコアラーに成長し、バックコートにはマジックと好ディフェンダーのマイケル・クーパー、そしてスコットの充実したメンバーが揃った。インサイドではジャバーをカート・ランビスがサポートし、ベンチには元MVPのボブ・マカドゥーが控えるという豪華さだった。レイカーズは前季の54勝を上回る62勝を記録し、レギュラーシーズンを終えた。 プレーオフで両チームの再選を阻む者は現れず、レイカーズは11勝2敗でファイナルに勝ち上がり、セルティックスはカンファレンス準決勝で成長株のデトロイト・ピストンズとは第6戦まで戦ったものの、カンファレンス決勝では宿敵フィラデルフィア・76ersを4勝1敗で破り、11勝4敗でファイナルに勝ち上がった。 ファイナルは2年連続で当時のNBA最高のカードだったロサンゼルス・レイカーズ対ボストン・セルティックスとなった。
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