しょうとく‐てんのう〔‐テンワウ〕【称徳天皇】
称徳天皇
母は藤原不比等の娘の光明皇后。
聖武天皇の第一皇女で、名を阿倍内親王といった。
高野姫尊とも称した。
聖武天皇の皇子は生まれてまもなく立太子したが、夭折したため738年に阿倍内親王を立太子した。
初の女性皇太子の誕生である。
749年に父聖武天皇の譲位を受けて即位し孝謙天皇となった。
752年に東大寺大仏の開眼の供養を行い受戒して法基と称した。
758年に大炊王(淳仁天皇)に譲位したが不和となり、764年淳仁天皇を擁立庇護し、道鏡を除こうとした太政大臣藤原仲麻呂(恵美押勝)を越前国に追い、途中の近江国勝野鬼江で捕らえて妻子もろとも斬殺した(恵美押勝の乱)。
この後淳仁天皇を廃して自ら称徳天皇(第48代、「重祚」(ちょうそ)という。
)となる。
重祚後は道鏡を登用して寵愛し政治・財政の混乱を招き反感をかった。
770年に皇嗣を決めないまま死去した。
第48代天皇 | |
天皇名 | 称徳天皇 |
読み方 | しょうとくてんのう |
名・諱等 | 宝字称徳孝謙皇帝 |
読み方 | ほうじしょうとくこうけん |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 749年から758年 |
生年 | 718 |
没年 | 770 |
父 | 聖武天皇 |
母 | 藤原光明子 |
兄弟 | □□□ |
配偶者 | □□□ |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 平城京 |
天皇陵 | 高野陵 |
所在地 | 奈良県奈良市山陵町 |
稱徳天皇 高野陵
(しょうとくてんのう たかののみささぎ)
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