かつて深い関係があった場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:00 UTC 版)
「西野神社」の記事における「かつて深い関係があった場所」の解説
手稲神社 昭和51年に初めて神職が常駐するようになるまで、西野神社は、札幌市手稲区手稲本町に鎮座する手稲神社の兼務社のひとつであり、主に手稲神社の神職が祭祀を執り行っていた。 第2代と第4代の西野神社宮司を務めた須浪仙太郎は、第4代の宮司だった時期は西野神社の本務宮司であったが、第2代の宮司だった時期は手稲神社の本務宮司であり、また、第3代の西野神社宮司を務めた山口栄は、その在任期間中の全てと西野神社の兼務宮司を退任した後の大半は、ずっと手稲神社の本務宮司であった。 現在は、手稲神社の神職が西野神社に出張して祭祀を執り行うことはないが、西野・手稲両神社の宮司家は親族であり、また、両神社とも同じ支部(北海道神社庁札幌支部)管内にあることから、両神社間の良好な関係・交流は維持されている。 西野福祉会館 現在西野福祉会館が建っている地は、かつては西野神社の所有地(飛び地)であり、大正14年から昭和42年までの間、当地には西野神社遥拝所があった。当時、西野神社への交通の便は良くなかったため、西野中立地区の氏子の多くは、当地から西野神社を遙拝していた。 現在は、神社用地ではないが、同会館内でも西野神社の諸行事が行われており、例祭の神輿渡御の際には、毎年同会館にも神幸行列が立ち寄る。 西野神社遙拝碑(伏見稲荷神社境内) 札幌市中央区伏見に鎮座する伏見稲荷神社の境内地(本殿裏の雑木林の中、本殿裏の公道から見える位置)に立つ、小祠の形を採った石碑で、西野神社の初代社掌であった野村茂が立てたものとされる。当時伏見稲荷神社の社掌でもあった野村にとって、西野神社は数ある兼務社のひとつであり、西野神社に直接お参りに行けない時には、伏見稲荷神社境内に立てたこの碑を通して西野神社を遙拝していたと伝わる。 現在、伏見稲荷神社ではこの碑の前で祭祀等は一切行っておらず、放置状態にあるが、石碑前の笹は定期的に刈られており、また、石碑に硬貨などがお供えされていることもあるため、近隣住民の一部の人達の信仰により、西野神社遙拝所としての機能は辛うじて細々と維持されている模様。 五天山神社跡 西野神社氏子区域の平和地区にある標高304メートルの山「五天山」の山中にあった神社。昭和10年(1935年)、近隣で農業を営んでいた井上弥一郎の夢枕に大国主大神が立って「我を手稲の里、西野の山に祭れ」と告げ、それを受けて周辺の住民達により創建されたと伝わる神社。 西野神社の兼務社だったわけではなく、神社の運営に西野神社が関与していたわけでもないが、神職が常駐していない無人の神社だったため、毎年8月25日に行われていたお祭りでは西野神社の神職が呼ばれて祝詞を奏上するなどしていた。現在、五天山神社では管理・維持・祭祀などは全く行われておらず、施設の撤去こそ行われていないものの神社としては廃社状態にある。 手稲神社 西野福祉会館 西野神社遙拝碑 五天山神社跡
※この「かつて深い関係があった場所」の解説は、「西野神社」の解説の一部です。
「かつて深い関係があった場所」を含む「西野神社」の記事については、「西野神社」の概要を参照ください。
- かつて深い関係があった場所のページへのリンク