お茶の間の顔に
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1986年、『NHKニュースワイド』平日メインキャスター。 1988年、『ワールドニュース』のキャスター。 1991年、報道局ニュースセンター(経済)副部長。 1993年4月、『NHKニュースおはよう日本』初代平日メインキャスター(6・7時台) 1993年6月、報道局ニュースセンターエグゼクティブプロデューサー、『NHKニュースおはよう日本』平日メインキャスター(6・7時台)。 1994年6月、報道局制作センター(『NHKニュースおはよう日本』)エグゼクティブプロデューサー、平日メインキャスター(7時台)。 1995年4月、海外赴任に伴い『おはよう日本』キャスターを降板。
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お茶の間の顔に
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淀川は1960年(昭和35年)から1963年(昭和38年)まで、NETテレビ(現:テレビ朝日)で放送された海外ドラマ『ララミー牧場』の解説で脚光を浴びた。その後、1966年(昭和41年)から始まった同局の長寿番組『日曜洋画劇場』(当初は『土曜洋画劇場』)の解説者として、番組開始から死の前日までの32年間、出演し続けた。 番組冒頭で「ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」の節回しや番組末尾の「それでは次週を御期待(お楽しみ)下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ...」は名台詞として語り草とされており、子供たちやタレントの小松政夫がこれをものまねするなど一躍お茶の間の人気者となった。1968年 - 1969年放送のアニメ『怪物くん』(TBS)では、番組途中の解説やエンディングのナレーターとして起用されている。 番組開始当初は「サヨナラ」の回数が毎回異なっていたが、ある日、小学生の少年から直接電話を受け、「淀川さんが『サヨナラ』と何回言うかが友達の間で毎週賭けられている」との話を耳にした。実際は、賭けといってもただ当たったら自慢するだけのたわいのないものではあったが、淀川は少年に「賭けをするのは良くないことだ」と諭し、それからは「サヨナラ」の回数は3回だけにすると決めた。なお、それまで「サヨナラ」の回数が毎回異なっていたのは、単に放送終了まで「サヨナラ」と連続して言い続けたからで、意図したものではないと本人は語っている。おまけに、解説では正面を向かっていたが、この「サヨナラ」を連呼する時だけは何故か斜めを向いていた。 また1970年代にはTBSラジオ(東京放送)の『ゴールデン・ワイド』で週1回・生放送で、映画作品の解説や出演者の人物像を述べた「淀川長治のラジオ名画劇場」が放送され、TBSブリタニカより書籍版も発売された。
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