お笑いブームとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:35 UTC 版)
「恋愛バラエティ番組」の記事における「お笑いブームとの関係」の解説
業界で「お笑いブームの後に、恋愛バラエティ番組が増える」という法則がある。緊張した素人から、エピソードを引き出し笑いに繋げるのには、話術が必要である。「ネタ見せ」を終えたお笑い芸人達のステップアップの場が恋愛バラエティ番組であり、その司会なのである。 第1次お笑いブームと言われる「演芸ブーム」時代(昭和40年代)で笑福亭仁鶴、桂三枝、横山やすし・西川きよしなどが筆頭に「パンチDEデート」「ラブアタック!」など人気恋愛バラエティが誕生した。 その後1979年から1982年頃まで続いた漫才ブームが起き、この年代には余り恋愛バラエティ番組は存在していないが、「キスだけじゃイヤッ!」(読売テレビ)の島田紳助、「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)の明石家さんまがブレークした。 90年代、いわゆる「お笑い第3世代」のダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるずが登場。ダウンタウンは東京進出のきっかけとなった「恋々!!ときめき倶楽部」、ウッチャンナンチャンは時期は遅れたが「ウンナンのホントコ!」の司会を務めた(後にこのメールという素材を生かしたロンドンブーツ1号2号司会の「ロンドンハーツ」が誕生)。その中で、とんねるずは「彼氏、彼女いない歴○年」等の言葉を作り出した「ねるとん紅鯨団」(関西テレビ放送)の司会を担当し同番組が社会現象にまで発展すると、“時代の寵児”とまで言われ、人気芸人の仲間入りを果す。 1999年頃から始まったお笑いブームでは(この時期にブレークした芸人をお笑い第5世代と呼ぶ)、上記で立証されてきた法則通りに久本雅美とオセロの中島知子が司会の「恋するハニカミ!」、雨上がり決死隊が司会の「アイチテル!」、青木さやかなどが司会の「恋愛部活」と、2000年代に入って始まった恋愛バラエティ番組の司会も、ほとんどがお笑いタレントである(ただし、久本雅美、中島知子、雨上がり決死隊などはお笑い第5世代ではない)。 まだ発展途上のお笑い芸人が恋愛バラエティ番組の司会を担当していることが多いが、上記に挙げたように、何れもテレビ業界には欠かせないタレント達ばかりが生み出されている。だが恋愛バラエティの司会を務めたお笑い芸人すべてが、残っているわけではないため、最終的には全て自身の実力次第である。「あいのり」の出現で、素人のテレビ慣れしない言動を楽しむだけでなく、“感動”が求められるようになった。お笑い芸人はその雰囲気を和ませる役割になり、ハードルはさらに上った。
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