いまむら‐あきつね【今村明恒】
今村明恒(いまむらあきつね 1870-1948)
地震の神様とたたえられた地震学者。
今村明恒は鹿児島県鹿児島市に生まれ、第一高等中学校(現東京大学教養学部)、東京帝国大学理科大学(現東京大学)物理学科を卒業、地震学講座の助教授となる。1896年からは陸軍教授を兼任し、陸地測量部で数学を教えた。
明治三陸地震発生を期に、1899年に津波は海底の地殻変動を原因とする説を提唱した。さらに震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告した(1905)。
そのとき、国民の沈静化を望む大森房吉らから反論された。しかし1923年に関東地震(関東大震災)が発生し、今村明恒の警告が現実のものとなった。
その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。大森亡き後には、東京大学地震学教授となり、日本地震学会を再設立(1829)し、会長となるとともに、磁気測定、地震計の考案、地震波の位相の伝播速度測定など、地震学の発展に多くの業績を残した。
東大退官後も、震災・津波被害対策を呼びかける一方で地震の研究を続けた。1944年12月7日に東南海地震が発生の際に、陸地測量部は掛川-御前崎の水準測量を行なっていたが、この測量は今村の強い働きかけによるものであった。この測量によって、地震後の御前崎の地盤変動が確認できたことから、東海地震の地震予知が可能なのではないかと語られるようになった。
今村明恒は鹿児島県鹿児島市に生まれ、第一高等中学校(現東京大学教養学部)、東京帝国大学理科大学(現東京大学)物理学科を卒業、地震学講座の助教授となる。1896年からは陸軍教授を兼任し、陸地測量部で数学を教えた。
明治三陸地震発生を期に、1899年に津波は海底の地殻変動を原因とする説を提唱した。さらに震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告した(1905)。
そのとき、国民の沈静化を望む大森房吉らから反論された。しかし1923年に関東地震(関東大震災)が発生し、今村明恒の警告が現実のものとなった。
その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。大森亡き後には、東京大学地震学教授となり、日本地震学会を再設立(1829)し、会長となるとともに、磁気測定、地震計の考案、地震波の位相の伝播速度測定など、地震学の発展に多くの業績を残した。
東大退官後も、震災・津波被害対策を呼びかける一方で地震の研究を続けた。1944年12月7日に東南海地震が発生の際に、陸地測量部は掛川-御前崎の水準測量を行なっていたが、この測量は今村の強い働きかけによるものであった。この測量によって、地震後の御前崎の地盤変動が確認できたことから、東海地震の地震予知が可能なのではないかと語られるようになった。
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