あらいのせきあととは? わかりやすく解説

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新居関跡

名称: 新居関跡
ふりがな あらいのせきあと
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 浜名郡新居町
管理団体 新居町(大11・523)
指定年月日 1921.03.03(大正10.03.03)
指定基準 史6
特別指定年月日 昭和30.08.22
追加指定年月日 平成11.01.27
解説文: 新居關慶長五年ニ創マル海瀟ノ爲其ノ位置ヲ転スルコト二囘現今ノ場所ハ寛永四年ニ移セシモノニテ其ノ建物安政二年十二月ニ成リシモノナリ
慶長5年創設伝えられる。もとは現在地東方向にあったが、津波のため移転、更に地震のため、宝永5年現在地移転したのである。もと浜名湖口に面し船着場もあったのであるが、いまは埋立てのため、地形一変して旧観偲ぶよすがもない。
併しながら主要部たる関所建物現存しているのは幸いである。建物安政2年12月改築にかかり、平家建南面し本屋入母屋造本瓦葺東西長く上之間、中之間、次之間に分たれ、その背部御書院間、御用達場及び上番勝手台所下番勝手同休息所の桟瓦葺の3棟附設されている。
この内御用達場及び上番勝手台所の棟は失はれ、その他間々改変のあともあるが、旧規偲ぶに十分である。殊に箱根小仏何れも建物の失はれている現在、主要街道関所建物としては、唯一の遺存例であり、江戸時代における交通政策ひいては幕府統治形態を示すものとしてその価値極めて高い。
H10-12-036[[新居関跡]あらいのせきあと].txt: 新居関跡は、新居町中心部位置し浜名湖西岸標高メートル低地立地する江戸時代東海道関所である。関所は、慶長5年1600)の創建推定されており、当初現在地よりも東にあったが、元禄年間および宝永年間災害により関所建物全壊しその後現在地に移転したのである関所は、明治2年廃止されたが、中心部分の番所建物は、小学校役場として昭和26年まで使用されており、昭和46年には解体修理され、現在も新居関跡の当時偲ばせる建物として保存されている。
 今回は、西側の船会所・女改め長屋大門のあった部分東側船着き場部分追加して指定し関所全体保存図ろうとするものである
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