天霧城跡とは? わかりやすく解説

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天霧城跡

名称: 天霧城跡
ふりがな あまぎりじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 香川県
市区町村 善通寺市碑殿町吉原町仲多度郡多度津町三豊市
管理団体
指定年月日 1990.05.16(平成2.05.16)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-12-042天霧城跡.txt: 天霧城は、仲多度平野西北に位置する天霧山に築かれ中世讃岐国豪族香川氏居城である。香川氏は、南北朝時代には、細川氏被官になっていたようであり、天平17年細川頼之に従って坂出南朝方の細川清氏攻め滅ぼした際、その軍功により讃岐三野豊田多度三郡を所領として与えられ、この時、多度津本台山に居館設け天霧山に詰城築いた伝えられる。のち、天正13年(1585)に、香川氏が、土佐移った廃絶した
 天霧山の最高所の馬背状尾根には、天霧城主郭ともいうべき大小10区画の郭が階段状に連らなり、これらの郭群は鞍部にある幅5メートル深さメートル堀切によって二分される。この尾根北端から北方へのびる尾根は、多度津に至る大手道であり、三群の段状郭遺構みとめられるまた、山頂から東北方に屈曲する尾根に三群15個所東方へ続く尾根にも大小11個所の郭跡がある。山頂から西南、いわば搦手であり、尾根沿いにも郭跡等の遺構残存する。なお、水手としては、馬背状尾根堀切附近に岩を穿った井戸西南尾根鞍部附近に「池窪」の名をのこす湧水池跡が確認されている。
 天霧城跡は、南北朝時代から戦国時代に至る四国政治勢力動向を知る上で逸することのできない遺跡であり、その遺構も、中世山城好例を示すものである
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