天籟庵
名称: | 天籟庵 |
ふりがな: | てんらいあん |
登録番号: | 33 - 0029 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建,瓦葺,建築面積17㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正3 |
代表都道府県: | 岡山県 |
所在地: | 岡山県加賀郡吉備中央町大字吉川3932-3 |
登録基準: | 再現することが容易でないもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 地元出身の庭園研究家重森三玲の処女作品とされる。もと重森邸に建てられた茶室で,昭和44年現在地に重森三玲自身の手により移築された。4畳半の茶席と3畳大の水屋より成る。茶席の真行草三つの床構えは特異。茶席天井の意匠も秀逸である。 |
建築物: | 天理教北阪分教会倉庫 天理教北阪分教会教職舎 天理教北阪分教会離れ 天籟庵 太古山日長堂主屋 太古山日長堂仏蔵 太田酒造内蔵 |
天籟庵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 14:21 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動天籟庵(てんらいあん)は、岡山県加賀郡吉備中央町吉川にある茶室および庭園である。吉川八幡宮の西側にあり、当地出身の作庭家・重森三玲が設計した。吉川公民館の敷地内にある重森三玲記念館に隣接する。
概要
この茶室は三玲が最初に手がけた作品で、元来は三玲の生家にあったものを当地に移築した。大正2年(1913年)に設計、翌、大正3年(1914年)父親の建築により完成。四畳半の茶室と、三畳の水屋から成る。
昭和44年(1969年)に、三玲が指揮し現在地に移築された。庭はコンクリートで造られており草木はほとんど無い[1]。人を常駐させ草木や苔の維持管理をすることは不可能との理由から、三玲自身がこのような庭を設計した。移築に際しては、京都から職人を呼び工事を行った。隣接する八幡宮に因んで、八幡神は海神であるとの解釈から、セメントに色粉を混ぜ2色のコントラストにより海と波をイメージして作庭されている。竹垣は八幡の文字をデザインしたものである。つくばいは鎌倉時代のものを使用し、飛び石には京都の鞍馬石を使用している。
平成11年(1999年)2月17日、国の登録有形文化財となった。
参考資料
- 現地案内板
- 『重森三玲 庭園の全貌』 中田勝康 著・写真、2009年、学芸出版社
脚注
- ^ 現地案内板には一木一草もないとあるが、実際はつくばいの周辺に僅かに草木が植えられている(掲載画像参照)。
外部リンク
座標: 北緯34度49分10.75秒 東経133度45分4.77秒 / 北緯34.8196528度 東経133.7513250度
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