『遍歴記』
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「フェルナン・メンデス・ピント」の記事における「『遍歴記』」の解説
1569年ごろから書き始めたものと言われている。1578年頃には全文を書き終えていたと推測されるが、生前は刊行されず、1583年の彼の死から31年を経て1614年に刊行された。本書執筆時は、ヨーロッパ各地でザビエルの伝記や書簡集が多くの言語で続々と刊行された時期と重なる。 完全な題名は以下の通りである。 『我々西洋では少ししかあるいはまったく知られていないシナ王国、タタール、通常シャムと言われるソルナウ王国、カラミニャム王国、ペグー王国、マルタバン王国そして東洋の多くの王国とその主達について見聞きした多くの珍しい事、そして、彼や他の人物達、双方に生じた多くの特異な出来事の記録、そして、いくつかのことやその最後には東洋の地で唯一の光であり輝きであり、かの地におけるイエズス会の総長である聖職者フランシスコ・ザビエルの死について簡単な事項について語られたフェルナン・メンデス・ピントの遍歴記。』 (古典ポルトガル語では: "Peregrinaçam de Fernam Mendez Pinto em que da conta de muytas e muyto estranhas cousas que vio & ouvio no reyno da China, no da Tartaria, no de Sornau, que vulgarmente se chama de Sião, no de Calaminhan, no do Pegù, no de Martauão, & em outros muytos reynos & senhorios das partes Orientais, de que nestas nossas do Occidente ha muyto pouca ou nenhua noticia. E tambem da conta de muytos casos particulares que acontecerão assi a elle como a outras muytas pessoas. E no fim della trata brevemente de alguas cousas, & da morte do Santo Padre Francisco Xavier, unica luz & resplandor daquellas partes do Oriente, & reitor nellas universal da Companhia de Iesus.") なお、出版された本は原稿と同じ内容というわけではなく、ある文は消されており、他は「修正」されている。ピントが積極的にイエズス会に参加していた事が指摘されているにもかかわらず、イエズス会に言及した箇所が削除されており、これは注目する必要がある。
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