『遍歴記』とは? わかりやすく解説

『遍歴記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 20:20 UTC 版)

フェルナン・メンデス・ピント」の記事における「『遍歴記』」の解説

1569年ごろから書き始めたものと言われている。1578年頃には全文書き終えていたと推測されるが、生前刊行されず、1583年彼の死から31年経て1614年刊行された。本書執筆時は、ヨーロッパ各地ザビエル伝記書簡集多く言語続々刊行され時期重なる。 完全な題名以下の通りである。 『我々西洋では少ししかあるいはまった知られていないシナ王国タタール通常シャムと言われるソルナウ王国、カラミニャム王国ペグー王国マルタバン王国そして東洋多く王国とその主達について見聞きした多くの珍しい事、そして、彼や他の人物達、双方生じた多く特異な出来事記録、そして、いくつかのことやその最後には東洋の地で唯一の光であり輝きあり、かの地におけるイエズス会総長である聖職者フランシスコ・ザビエル死について簡単な事項について語られフェルナン・メンデス・ピント遍歴記。』 (古典ポルトガル語では: "Peregrinaçam de Fernam Mendez Pinto em que da conta de muytas e muyto estranhas cousas que vio & ouvio no reyno da China, no da Tartaria, no de Sornau, que vulgarmente se chama de Sião, no de Calaminhan, no do Pegù, no de Martauão, & em outros muytos reynos & senhorios das partes Orientais, de que nestas nossas do Occidente ha muyto pouca ou nenhua noticia. E tambem da conta de muytos casos particulares que acontecerão assi a elle como a outras muytas pessoas. E no fim della trata brevemente de alguas cousas, & da morte do Santo Padre Francisco Xavier, unica luz & resplandor daquellas partes do Oriente, & reitor nellas universal da Companhia de Iesus.") なお、出版された本は原稿と同じ内容というわけではなく、ある文は消されており、他は「修正」されている。ピント積極的にイエズス会参加していた事が指摘されているにもかかわらずイエズス会言及した箇所削除されており、これは注目する必要がある

※この「『遍歴記』」の解説は、「フェルナン・メンデス・ピント」の解説の一部です。
「『遍歴記』」を含む「フェルナン・メンデス・ピント」の記事については、「フェルナン・メンデス・ピント」の概要を参照ください。

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